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六甲山と瀬織津姫 40 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

伊祖グスクの後、波上宮へと足が向いた。
5月に参拝したばかりだが、ふとその気になった。

スサノオとイソタケル(五十猛命)。
「書記」では高天原から出雲に天降った親子神だが、
記紀の影響をほとんど受けていない沖縄にあって
も、イソタケルは馴染みの薄い神様だと思う。

いっぽう父神のスサノオは、沖縄総鎮守である
波上宮(那覇市若狭)の祭神・速玉男尊、
事解男尊と異名同神。琉球八社のうち七社に
祀られていることもあり、篤い崇敬を受けている。


波上宮の鎮座伝説に登場する崎山里主は、
察度王(1321〜1395年)の子で、南風原の
大国家(だいこくやー)の養子となったが、海で
釣りをしていて「モノを言う不思議な石」を得た。
霊石を狙う追っ手を逃れて ↓波上山に来たときに
「熊野権現をこの地に祀れ」と神託を受けたという。
六甲山と瀬織津姫 40 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)_a0300530_12211906.jpg



大国大主神の名は伊計島セーナナーでも見たが、
どうやら大国家はスサノオの神系統にあったようだ。

スサノオはまた天王ガナシーとしても崇められる。
「天土大神様(あめつちのおおかみさま)」とも
呼ばれ、琉球開闢の地・ヤハラヅカサ(南城市)
の浜川御嶽に香炉があったと、語り部から聞いた。



私は伊計島を取り巻くこの↓大海原を見たとき、
天王ガナシー・天土大神様・スサノオとは「水の星の神」
「地球創世の神」と人々は捉えていたのだろうと実感した。
六甲山と瀬織津姫 40 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)_a0300530_12160406.jpg



さて、伊計島を先頭(北)にして、本島の東に
浮かぶ、宮城島、平安座島、浜比嘉島、浮原島、
津堅島、久高島という7つの島を、かつて神人たちは
北斗七星に例えて、「にぶとぅい星(ぶし)」
(柄杓という意味)と呼んでいたという。

いっぽう、北極星は「子ぬ方星(にぬふぁぶし)」
で、船乗りたちが航海するときの目当てとされた。
その星は、籠神社の伝承で「宇宙根源の大元霊神」
とされる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
(=太一、天帝)のことである。

沖縄とヤマトでは、天御中主神の神格は大違いだ…
と、つい思いがちだが、実はそんなことはない。
「子ぬふぁ」(北の方向)に動かずに坐す大神として、
久高島の古祭・イザイホーでも崇められていた
ことが、その祭祀構造から見てとれる。



↓イザイホー(1978年で終了)の祭祀場となった
御前庭(うどぅんみゃー)。神アシャギ(中央)など
神屋は南面し、その奥=子(北)の方向の森のなか、
神女らが籠る7つの小屋(ナナツヤー)が建てられた。
8つ目の小屋にはアカララキ(瀬織津姫)が鎮座した
(過去の記事はこちら)。神魂の転生を司る縄文の女神だ。
六甲山と瀬織津姫 40 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)_a0300530_20403053.jpg



子(北)と午(南)の方向を重視する祭祀様式から、
イザイホーは「子午線の祭り」とも呼ばれる。
が、祭りが王権儀礼となって以来、天御中主神の
信仰は失われたのではないかと、島の神人は言った。
「久高島に日神と月神はいるが、星神は消えた。
それは琉球国王に取って代わられたのだろう」と。

とはいえ、
琉球王朝は「日月星辰」を信仰の基層とし、
天御中主神を秘神として崇めていた節がある。
首里城の北に位置する神屋には、聞得大君御殿に
あったものと同じ掛軸(弁財天と7人の日巫女)が、
いまも残っている(過去の記事はこちら)。  
その神像図は、丹後地方に残る天女伝説と相似だ。

語り部は、その中心に天御中主神を視る。

真名井神社の祭神は、豊受大神(=天御中主神)。
セーナナー(海人七氏族)は丹後へと渡ったのか…。





by utoutou | 2016-08-01 10:48 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented by at 2016-08-01 21:08 x
utoutoさん、こんにちは(>∀<●)ノ天御中主神ですか…。追跡アマミキヨが更新される度にビックリしすぎてアゴが外れそうになります(笑)(*ノ∀<)そして浜川御嶽とスサノオ…。浜川御嶽には今でも何だったんだろうと思う思い出が…。まだ追跡アマミキヨ読み始めてすぐで久高島に行く前の2014年4月頭ですが、転勤生活の最後に沖縄での生活が本当に楽しかったので帰る前に沖縄の神様にお礼を伝えようと数回に分けてあがりうまーいの聖地を各所まわろうと思ってヤハラヅカサに行って、ヤハラヅカサから浜川御嶽に回りました。そして浜川御嶽見てたら、後ろの上の方から誰が見てる視線を感じて振り返ったら誰もいないことがあってしばらく視線を感じたあたりをぼーっと見て帰ったのですが、後に視線を感じた場所が追跡アマミキヨで潮花司という名前でアマミキヨが仮住まいしたところと知って、アゴ外れました(笑)(ノ∀`)σ 今でもあの視線は何だっただろうと思いますがあの辺りやはり何か不思議ですよねー。
Commented by utoutou at 2016-08-05 09:04
> 寅さん
こんにちは。浜川御嶽はホント不思議な場所ですね。本来の浜川御嶽は、現在拝所のある辺りではなくて潮花司のことだそうですから。以前ここにも書きましたが、磐座の下には香炉もあったそうです。潮や天候を見て、引き上げたり戻したりする神人のお爺さんがいたと。
そう言えば、潮花司で倒れ込むようにして涙する人を見たことがあります。また何十年か前、御嶽の前でアイヌの皆さんが祈りと祭りをしていたことがあるという話も。
先月玉城に行ったときには、潮花司の辺りを毎朝お掃除している若い男性に会いましたが、内地からこの故郷に戻ったとき、この御嶽を守ることが自分の役割と感じたということでした。
私も朝ヤハラヅカサに行くと、いつも誰かしら知り合いとバッタリ会うんです(笑)。引力の強い聖地ですね。

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