六甲山と瀬織津姫 41 天皇の背負う星

天で動かぬ北極星は、天帝であり天御中主神。
その星神は古祭・イザイホーから消えた。
というより、むしろ国王の神魂と習合されたうえ
祀られたと考えられるが、その神祭りの
在り方は、何も琉球王国だけに限らなかった。

伊勢神宮と大嘗祭(天皇の即位式)の主祭神は
太一(北極星)だと、民俗学者の吉野裕子氏は
『天皇の祭り』(講談社学術文庫)で述べている。

その推理とは…(以下要約)。

☆大嘗祭の祭神は、「太一」と太一に習合された
「天照大神」と「天皇霊」という三位一体の神霊で、
これらを祀るのが現身(うつしみ)の天皇である。

☆礼服は日本古来のものでなく、古代中国皇帝
の服制の踏襲。また伊勢神宮の宗教改革や
大嘗祭の制定は、天武朝において行われた。

☆天皇は、自身が宇宙神・北極星の化身であると
の自覚から、北斗七星を礼服の背に負っている。

☆天皇の礼服は、隠された大嘗祭の意味を
無言で明示する物的証拠である。



ということで、同書では
幕末の孝明天皇の礼服(宮内庁所蔵)を掲載。
北斗七星を背に負う。中国皇帝の場合は北斗七星
でなく、北斗と織女が袖に配されデザインが異なる。
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↓ 礼服表面の最上部(肩)には、
左に太陽と三本足の鳥が、右に月と兎が、また
両袖には巻龍が、大袖と裳(下の写真)の
全体で12種の刺繍が配されている。

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さて、
古来、天皇のあらたえ(神衣)を織り上げたのは
阿波(徳島県)忌部氏の末裔・三木家だったが、
平成の大嘗祭(平成2年11月)でも伝統は貫かれた。



忌部氏は古来、三種の神器(剣・勾玉・鏡)
を奉持し(古事記)、天皇家の祭祀の中心を成した。
神衣を織る大麻作りは、徳島県美馬郡木屋平村で、
三木家当主による種播きの儀式から始まるのが伝統。
↓『大嘗祭』(キョーエイ刊、非売品)より拝借。
(厚さ6cmある大著ゆえコピー不可で概観)
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大麻の刈取りと製糸を経て、神衣の織り初め式。
忌部神社で織女たちが4反の神衣を織った。

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平成2年10月27日、1年かがりで仕上がった
4反の神衣は、三木家から皇居へと運ばれた。

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天太玉命を祖とする阿波忌部氏は、
6世紀の中頃、阿波国に進出したと言われる。

忌部氏ら六家(他に出雲・物部・三輪・吾道・卜部)
は上古より続く史家だと『先代旧事本紀』は記した。

六家に天皇家を合わせて北斗七星を成す七家…。
忌部氏は、伊計島にいまも残るセーナナー御嶽を
発った七氏族のうちの一氏だろうと、語り部は言う。
六家の行き先は六甲山から丹後へ、出雲へ、紀伊へ、
伊勢へ。さらに東へ。列島各地だったに違いないと…。


by utoutou | 2016-08-06 10:12 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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