六甲山と瀬織津姫 50 猿田彦大神

「六甲山は海神の砦と言いますが、この地で
 いちばん古い海神は?」と、語り部が聞いた。

住吉大神について度々書いたのを見て、何か
他に見たものを忘れていないかと、言外に…。

「それならば、猿田彦大神ですね」と
言おうとして、止めておいた。急がば回れ、
直感で言うよりも慎重に裏取りを試みようかと。
迷宮入り寸前の事件を扱う刑事のような心境で。



↓こちら神呪寺と、神奈備である甲山。
本堂屋上の火炎宝珠のあしらいが鮮やか。
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その本堂。手前右に「淳和天皇聖蹟」の石碑が、
手前左に「開山如意尼公領」の石碑が建っている。
が、それはあくまでも本堂落成(831年)の年号。
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時代は溯り(4世紀末)、神功皇后は甲山の頂上
に如意宝珠と兜を埋めて、国家平安守護のための
 祈願をしたと、甲山登山道の入口に標されていた。
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さて、
まさに神功皇后の朝鮮出兵(百済救援)の帰り、
難波に向かう途中、船がぐるぐる廻って難航した。
そして「住吉三神を祀れ」との神託があった。
というのが、「住吉大社=海神」の創建由来だった。

その住吉大社の近くにお住まいという方から、
先日、コメントをいただいた。
「住吉大社の地には、もともと、いまの摂社の
大海神社が鎮座していたと言われています」と。

住吉大社境内の東北に坐す大海神社の場所は、
もとは海に突き出た断崖だったと由緒にもある。

綿津見信仰の古い歴史を示す象徴的な話だ。
大海神社の祭神は、豊玉彦と豊玉姫。
その神籬は、海神である父とその姫のいた龍宮
として、古代海人の崇敬を集めたのだろう。

龍宮の主である綿津見神について、
『古事記』は、「安曇連等の祖神」と記している。
逆に「安曇連等は綿津見神の子・宇都志日金析命
(うつしひがなさくのみこと)の子孫なり」とも。

宇都志日金析命とは、猿田彦大神のこと。
沖縄・久高島では、二ライ大主(うふぬし)と
見られていたと私は考えた(記事はこちら)が、
その猿田彦大神が、ここ甲山に祀られていたとは…。



↓登山道の入口に、祠が並ぶ一角がある。
甲山稲荷大師(左手前)のほうは、左右に
白龍大明神・白菊大明神が合祀されている。
由緒は不明だが、稲荷(=鋳成り)ということは、
 甲山も古代は産鉄地だったということだろうか。
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猿田彦大神(白鬚大明神)の祠は、右(東)隣りに。
琵琶湖西岸(高島市)の白鬚神社に詣でたことが
あったが(記事はこちら)、祭神は同じ猿田彦大神である。
その右奥、小さな石祠には善女龍王が祀られている。
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割と新しい社だったが、ともあれ、
この地に海部氏と同族で綿津見神を奉斎する安曇氏
 とその末裔がいたことを暗示しているように思う。

安曇氏は北九州が本拠と言われるが、
神功皇后に随行した武内宿禰も同族と思われる。
この地で銅の採掘をしたという日下部氏も…。




by utoutou | 2016-09-09 05:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
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Commented by ゆん at 2016-09-16 04:17 x
はじめまして!私の誕生日に有り難うございます。
Commented by utoutou at 2016-09-16 09:08
> ゆんさん
こんにちは。何かよいことがありましたか!?
Commented by たぬき at 2016-09-21 12:55 x
一つ、太古、大阪湾が生成された当初から現在から未来に至る迄、
神話の神武天皇一行らも驚愕した右回りに還流する速い潮流(淡路島東岸を北上、神戸沖合いを東流、摂津河内和泉沖合いを南下、友ヶ島辺りで西流)が知られています。
この右回りの速い潮流(われわれの先祖は「太郎の潮」と呼んだ)に捕まると古代のてこぎ船では脱出するのは相当な苦労です。

実際に昔、手こぎのボートで少し沖(海岸から百メートルくらい)で釣りをしていてこの流れに捕まったてしまってさぁ大変。岸に戻ろうと全力で漕いでも漕いでも同じ場所をキープするのがやっと更に流される始末。、、、
この潮流を利用して摂津和泉地域と淡路島東岸(東浦)地域は古来交流が盛んにありました。実際に対岸同士で親戚がいるのは当たり前でしたから。
大阪湾=茅沼(チヌ)の海(首都の前海くらいの意味)
Commented by utoutou at 2016-09-24 06:46
> たぬきさん
ありがとうございます。瀬戸内海の還流について調べたことがありましたが、分からなかったことでした。その茅渟の海の渦巻きの右廻りと左廻りが、ホツマツタエなどの古伝に出てくる「アワの歌」の原型なのではないかと思っています。保久良神社の磐座が渦巻き状に配置されているというのも、渦潮を神生り現象と見立てたからだったのではと。
そう言えば、隼人族が用いた渦巻きの神紋も左巻き右巻きが合体したかたちですね。潮流渦巻く茅渟の海に、古代人はガイアの波動を感じていたのではないでしょうか?
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