六甲山と瀬織津姫 59 帰れなかった天女

豊玉・玉依はワニの姫…と感慨に耽る間もなく、
「和奈佐比古命を追えばワニ船の海路が分かる」
と、語り部は言った。神託の翻訳である。
神託はいつも言葉やイメージでやって来る。
今回はおそらく「ワナサヒコ」と「大海をゆく船」。

「ワナサヒコはワニ船の船長ですか?」
私が訊くと、語り部は言った。
「王・首長でしょう。後の日下部、日置、安曇、
忌部、物部、出雲、阿智…みな海部と同族です」


伊計島 ↓セーナナー(海人七氏族)の御嶽に
祀られる人々だろう(今年7月の記事はこちらに)。
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その本拠地は「7つの首の蛇」伝承と、祭祀用の
ワニ船が残る久高島だと、私は思った。
語り部の話は続く。
「志賀島、玄界灘、宇佐、伊予、六甲、福知山へ、
または、豊後水道、阿波、六甲、丹後、出雲へ、
次第に分かれて行ったように視えます。
 ところで、阿波に大里八幡神社はありますか?」

調べると、トップヒットに徳島県海陽町観光協会
「大里八幡神社秋祭り」がきた。来る10/16(日)、
7台の関船やだんじりが宮入する祭りがあると。
古くは「川越し(船曳き神事)」であったらしい。

関船とは中世以降の水軍が繰った軍船だから、
祭り自体の歴史は古代までは溯らないか…。

と思いきや、和奈佐は海陽町の古名だった。
大里八幡神社(海部郡海南町大里)の前身社は
 和奈佐意富曽神社(わなさおうそじんじゃ)だと、
『阿府志』(18C末)の記録にもあった。


それにしても大里とは…。斎場御嶽を東に望み、
神代から続く拝所・天代大世があり、源為朝や
天孫氏王朝や、大陸のワニ族の流れを汲むらしい
 沖縄の集落と同じ地名。とても偶然とは思えない。
(記事は→ こちらや、こちらに)


ともあれ、徳島県にある和奈佐意富曽神社の
祭神は、誉田別神、天照大神、天児屋根神。
天児屋根神の亦名は、春日権現・春日大明神。
春日権現は藤原氏の氏神というのが一般的だが、
元は春日・和邇(同族)の祖神という説は根強い。


阿波には和奈佐比古命の痕跡があった。
出雲にも和奈佐神社があった。その
祭神は、阿波枳閇(あわきへ)和奈佐比古命。
「阿波から来た和奈佐比古命」という意味という。



そして、丹後にも和奈佐比古命の痕跡がある。
先日訪れた、比沼麻奈為(ひぬまない)神社。
京都府京丹後市峰山町久次)。
丹後の豪族・和邇氏の健振熊宿禰が率いる海部水軍
の本拠地だった久美浜(兜山)から、車で30分。
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鳥居の左手には、豊受宮の社号碑が立つ。
『延喜式』の「比沼麻奈為神社(丹後国丹波郡)」
に比定される社のひとつ。つまり、伊勢大神宮の
外宮・豊受大神宮の「元伊勢」と言われ、
『止由気宮儀式帳』の「比治真名井」であり、
『倭姫命世紀』の「与佐郡小見比治之魚井原」でもある。
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また、丹後の「羽衣伝説」の舞台でもある。
〜8人の天女が比治山の真奈井で水浴びをして
いると、和奈佐という老夫婦が来て羽衣を隠し、
帰れなかった天女を子としたが、家が富むと、
  今度は「汝は我が子ではない」と追い出した。
天女は悲しみ、最後に辿り着いた奈具の村の
奈具の社で豊宇賀能売命として祀られた〜
(※『丹後国風土記』逸文、要約)

  和奈佐の老夫婦はひどい人物に描かれるが、
 天女物語が、先住神を追い出した天津神が、
 正当性を主張した逸話と考えれば納得がいく。

その天女こと豊宇賀能売命は、伊勢外宮に
移されて、天照大神の御饌津神である
 豊受大神になったと『止由気宮儀式帳』は記す。

天女伝説について、私はこう思う。
雄略22年、豊受大神(天御中主神=北極星)
は、天照大神に請われ7人の天女(北斗七星)
とともに、御饌津神として伊勢へと遷座した。
北斗七星の舗星とも、また天祖とも考えられる
 和奈佐の天女・豊宇賀能売命は天に帰れなかった。
 天は新生の皇祖・天照大神に奪われていたからだ。



静かな聖域・丹後の比治麻奈為神社。
その西際に、奉納を記念する立石が並ぶ。
右端に最高額「金壱千萬圓」とあって驚いた。
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by utoutou | 2016-10-12 16:17 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(8)
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Commented by lovealltheall at 2016-10-14 13:23
偶然なのか、海部郡という名前にもつながりを感じます。
Commented by utoutou at 2016-10-15 11:32
> lovealltheallさん
こんにちは。そうですね、偶然ではないと思いますね。実際、ある時代まで往来もあったのではないかと思います。地名だけでなく地形地質や名産品も似通っていますね。海のそばで河口や高地性集落の跡があり、米どころ、酒どころ、稲荷神社、猿田彦神、瀬織津姫(弁財天)…。地名は変わっていても、旧名を調べたら海部郡だったということが何度かありました。
Commented at 2016-10-15 13:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lovealltheall at 2016-10-16 09:28
自分が徳島県出身なので、つながりを感じるとワクワクします。utoutouさんの記事を読むたび、沖縄と無関係な人はいないんだなと実感しています。
Commented by utoutou at 2016-10-16 10:49
> lapislazuli7さん
こんにちは。熊鰐…気になりますね笑。そして、おっしゃる通り2ルートあったと思います。ご存じ沖縄の北端・辺戸岬の近くの宇佐浜遺跡という縄文〜弥生時代の遺跡は、奄美にある遺跡と時代が並行しているそうですが、こちらは豊後海部に関係する豊後水道経由の道でしょうか。いっぽう、ゴホウラ貝などを運んだ貝の道は、琉球西岸から北九州から韓国へ繋がる東シナ海側から日本海でしょうか。出雲へは両方の道があると思っています。
Commented by utoutou at 2016-10-17 11:55
> lovealltheallさん
こんにちは。繋がりを感じると…本当にそうですね。沖縄南部の旧家では、神棚に榊でなくイヌマキ(沖縄方言でチャーギ)をお供えする家が多いですが、徳島でもそうだったと聞いたことがあります。そうした風習に繋がりを感じます。
Commented at 2016-10-18 00:33
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-10-19 12:32
> lapislazuli7さん
こんにちは。黒潮は房総半島の先あたりまで北上してから、環太平洋へと流れていくそうで、強烈なエネルギーですね。伊豆に古代王国があったという説もうなづけるような。。
日本海側では、丹後(波)に集中している古墳で、朝鮮半島から渡来した人たちの存在が分かりますね。南海からの人たちと大陸からの人たちが、加古川〜由良川の周辺で出会ったかと思うと、古代代丹波王国の強大な勢力が偲ばれますね。
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