六甲山と瀬織津姫 60 聖徳太子

丹後一周に行った日の早朝、京都の
頂法寺 六角堂(中京区六角堂通)に参拝した。
6世紀末に聖徳太子が開基した古刹は、
京都駅から地下鉄で3駅・烏丸御池から徒歩3分。

六甲山にもその名を残す聖徳太子の足跡を
京都で偲んでから、丹後へ向かおうと思った。

六甲山の甲山・神呪寺を創建した如意尼は、
幼名を厳子(いつこ)といい、籠神社・祝部の娘
だったが、10歳でここ六角堂に入り如意輪に帰依。
20歳のとき、まだ皇太子だった後の淳和天皇に
見初められて、第四妃として迎えられたという。



六角堂は、都会的ビル街の一角にあった。
6時半。お香が漂うなか参拝客が足早に往来する。
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山号は紫雲山。
用命天皇2(587)年の建立。
聖徳太子が大阪四天王寺建立のための用材を求め
この地に来たときに夢告を受け、杉の大樹で六稜
の堂を建てて、自らの護持仏をここに安置した。
本邦初の伽藍だったため、頂法寺と名付けた。
本尊は、如意輪観世音菩薩。
太子はその守護を小野妹子に命じた。
妹子は入道して「太子沐浴の池」の傍らを住坊とし、
その名を池坊とした。以来、子孫が住職を務める。
華道・池坊発祥の地でもある。(※境内の由緒より)
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本堂の東北に位置する、太子堂と太子沐浴の池。
枯山水の面影をとどめ、なぜか白鳥が遊んでいる。
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太子堂の中央に、太子作と伝えられるという
南無仏の像(聖徳太子2歳の像)を祀る。
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山門近くに、不動明王の立像。
大日如来に一心に祈れば、災厄をはね除け、また
苦しみの身代わりに願いを叶えてくださる…と文言が。
大日如来・不動明王…怒りの形相のなかに弁財天を
ふと感じたのは、寝不足のせいだけでもないと思う。
聖徳太子は神仏習合を隠れ蓑に弁財天をはじめ、古来の
神々を護った。如意尼が念持したのも弁財天と伝わる。
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ところで、
創建由緒にある聖徳太子の護持仏は、幼い頃、
淡路島の海で拾った唐櫃に入っていたものという。
それは一寸八分(5.5cm)の黄金の如意輪観音で、
やがて六角堂の本尊になったが、2百年余り経った
9世紀、厳子姫(如意尼、後の真井御前)が現れる。

時あたかも同族の浦島太郎が龍宮から帰還した頃。
乙姫様からもらった玉手箱は、如意尼の元へ渡った。
そして、空海の手で神呪寺の如意輪観音像に隠された。
あるいは、隠し場所は六甲比命神社かもしれない。

隠されたのは如意宝珠(沖縄では「ぬぶし玉」)
と思われるが、なぜ隠す必要があったのか。
史実でないとしても、なぜ伝承は生まれたのか。

流転の如意宝珠…その発端は聖徳太子だった。
聖徳太子といえば『先代旧事本紀』の編纂者。
蘇我馬子、秦河勝、小野妹子とともに「六家」の
秘伝を集め古来の「神の道」を記録に残そうとした。

六家とは、
物部、忌部、卜部、出雲、三輪、吾道をいう。
天皇家を併せて七家、北斗七星を成すという。
(※後藤隆著『先代旧事本紀大成経』参照)

六家、六甲、六角堂…籠神社の籠目紋は六芒星。
出雲大社の神紋・亀甲紋も六角だが、それは、
龍蛇神とするセグロウミヘビの鱗が六角だからだ。
久高島で獲れるイラブーウミヘビの鱗も六角。
「六」は龍蛇族(古代海人族)の聖数なのだろう。


と、ここで、「六」に隠された意味に気がついた。
六は八をフタで封印していることの暗号ではないか。
「八」こそが、海人族の祀る本来の神だったのでは…。

60回目にして、六甲の核心に近づいたかもしれない。









by utoutou | 2016-10-15 12:36 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(6)
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Commented at 2016-10-15 13:54
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-10-15 13:56
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-10-15 14:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-10-16 10:51
> lapislazuli7さん
穴も確かにそうですね。豊浦。「豊」を繋げると大分の日田を通って、瀬戸内海から六甲へとなりますね。よいヒントをありがとうございます。
Commented by utoutou at 2016-10-16 10:57
> lapislazuli7さん
神功皇后で繋がっていますね。神功は父方が天日槍の息長・母方が和邇、何か意味がありそうです。息長は沖縄の語源という説もあります。九州は追跡アマミキヨの視点で歩いたことがないのですが、是非一度廻ってみたいと思います。
Commented by utoutou at 2016-10-16 11:05
九州では宇佐神宮、高良大社、宗像大社などに参りましたが、佐賀、熊本、鹿児島、宮崎をはじめ、行きたい場所が数えきれないほどあります笑。
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