六甲山と瀬織津姫 62 新月の久高島

八咫烏→鳳凰(不死鳥)→久高島の火島(ふしま)
と、次々に連想したのは、先日その久高島で見た
朝日が美しく、強く印象に残っていたからだった。



10月1日(土)06時31分の伊敷浜(東海岸)。
日の出には10分遅れたが、むしろ水平線上に出た
太陽は饒々しくも神々しい光を八方に放っていた。
偶然、太陽と月が重なる新月の日の朝だった。
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久高島の最高神は、太陽と月と考えられてきた。
太陽は男親(男の象徴)、月は女親(女の象徴)。
太陽と月は夫婦で、日蝕月蝕は夫婦の逢い引きだと。

それなら同じ方向から昇る新月も、夫婦の逢い引きだ。太陽の光で月が見えないだけで日食と似ている。  
満月の日には、月は太陽の光に隠れることはない。
月は、満月の日にもっとも守護力が高まるとされ
イザイホーは満月の夜の月の出と同時に始まった…。



つらつら考えながら歩いていると、イザイホーの祭場
だった久高島の前に出た。このとき時刻は7時すぎ。
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正面右のシラタル宮に参拝しようと近づくと、
↓伊敷浜(右=東)方向から、朝日が強烈に射した。
イザイホーのあった冬至頃の日の出とほぼ同じ時刻。
神アシャギ奥の七ツ屋で、神女たちも朝日を見た。
東(あがり)に向かい朝拝を捧げていただろう。
月の女神・アカララキ(瀬織津姫)の守護のもと…。
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東に鎮座する太陽神こと東大主とは、
ヤマトに伝わる男神・天照大神のことだと私は思う。
そうすると…
この祭場の真北には、北極星こと天御中主神が
祀られていた…と、既に推理した()ので、祭場
には、太陽・月・星の三神が鎮座していたわけだ。
左の祭屋は、龍神の使い・イラブー海蛇の居場所だ。


龍神の御前庭(ウドゥンミャー)で、継承された
太陽と月と星と星(地球)を祀る古代からの信仰。
神女の持つ大扇には「紅の鳥」が描かれていたが、
「甦る不死鳥・八咫烏」への祈りを見る思いがする。


熊野本宮大社のHPに八咫烏の説明がある(要約)。
〜八咫とは、広くて大きいという意味。
烏は太陽の化身で三本の足があり、天地人を表す〜



新月の朝、伊敷浜でふと朝日に照らされる
御先(写真左の石)を撮った。歴史的な碑ではない。
「誰かが勝手に作っていった」と島人たちは言う。
御先は沖縄で「うさち」と読み「上古」の意味だが、
 熊野では「みさき」と読み、「烏」の別名という。
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神話では、
八咫烏は高皇産霊尊に命じられ熊野に降臨した。
そして、神武の東征を案内した天神の使いとされる。
熊野では御先(八咫烏)を「みさき神」とも呼ぶ。
いましみじみと、久高島の「御先」を思うのだ。
実は八咫烏の神籬として立てられたかもしれないと。

ところで、
記紀の「神武東征」には、熊野から大和へと案内
したという「導きの神」が、もうひとりいた。
神倉山に現れた高倉下。「饒速日命の子」とされる。
と、同時に、葛城に盤居した尾張氏の祖でもある。

八咫烏(賀茂建角津命)は賀茂氏の祖となったが、
同様に、「饒速日命の子」なのではないだろうか。

『先代旧事本紀』曰く、
尾張氏の祖・天香具山命(=高倉命)と、
鴨氏の祖・天神魂命は、いずれも饒速日命が大和へ
天降りしたの32人の防衛(さきもり)だった。


「饒速日命は、古代琉球天孫氏王朝の覇王だった」
と、語り部から聞いたのは、5年前のことだった。
まさかと思っていたが、自然と腑に落ちてくる。
つまりイザイホーは、饒速日命を崇める祭りだった。




by utoutou | 2016-10-23 10:13 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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