六甲山と瀬織津姫 63 饒速日命(ニギハヤヒ)

秘祭だけに、イザイホーの祭神を記した史料はない。

琉球最古の史書『中山世鑑』(1650年)を
編纂した羽地朝秀という人は日琉同祖論者で、
民族独自の信仰や風習には否定的だったという。
よって、いわゆる薩摩侵攻(1609年)以前の
信仰について記された史料は残っていない。

近年では、廃藩置県において、
明治政府は沖縄県に対して独自の研究を禁止。
「琉球」への同化策なのか独自の信仰を封印した。

しかし、
そうした時代の変遷にあっても消えることなく、
英祖王統時代から、琉球王朝をまたいで昭和
の時代まで約400年も続いたイザイホーの祭神は、
琉球王朝の崇めた「日月星辰」だと思われる。
少なくとも皇祖・天照大御神ではなかった。

その祭祀の中心に、物部氏や穂積氏や熊野国造の
祖神と言われる饒速日命の神影がピタリ重なる。



最後となったイザイホー(1978年)には、
千人もの見物客が降り立ったと言う↓徳仁港。
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10月上旬 ↓スベーラの御嶽に足が向いた。
本島からの船が着く際、左手に見えるこの岩礁だ。
イラブーガマ(洞窟)の並びに位置している。
イザイホーとノロの継承が途絶えたいま、
訪れる人も少ないようだが、美しく保存されている。
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港の反対側にあたるスベーラの御嶽の入口。
掃き清められ、往古の神域の佇まいが残る
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スベーラの御嶽は「統べる王の御嶽」を意味する。
どれだけ古い歴史があるかは計り知れない。

しかし、語り部は言う。
「上古、饒速日命は天津国から十種の神宝を携えて
玉城のミントングスクに上がったのだと思います。
後には邇邇芸命も上がり、この御嶽で覇王として
の就任の儀式に臨んだのだと。そして琉球の国土開闢
の後、始祖たちは出雲へ熊野へと移動していった」

同じ説話は、ミントン門中の
屋号・天祖(あます)の神女口伝にもあった。
天祖は、天孫氏王朝の末裔と伝わっているが、
つまり饒速日命を先祖と仰ぐ家系だったわけだ。


ちなみに、『先代旧事本紀』によれば、
饒速日命は天忍穂耳命を父に、
高皇産霊尊の女・萬幡豊秋津姫命を母に持ち、
邇邇芸命の兄となっている。



↓後ろ側からのミントングスク全景(10月5日)。
古老の話では、昔は円錐形の山だったらしい。
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さて、くだんの『先代旧事本紀』には、
饒速日命が天の磐船に乗り河内国(大阪市交野市)
に天降りた際、32人の防衛をはじめとして、
数多くの随伴者を従えていたという。

「琉球王朝時代、三十三君と呼ばれた神女組織が
ありましたが、それは饒速日命と32人の防衛たち‥
饒速日命王朝を守護したオナリ神たちの
名残りだったと思います」と、語り部は言う。

「琉球には33個の金の香炉があった」と言う
秘伝もあったが、今次の戦争で失われたのだと。












by utoutou | 2016-10-29 22:06 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(6)
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Commented at 2016-10-31 02:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-11-03 11:44
> ゆきともさん
こんにちは。私にミントングスクを教えてくれのは知念の西銘さん、連れて行ってくれたのは志堅原の大城さんでした。
実はここ数日関西に行ってまして、昨日2日東京に帰りました。ホテルで朝コメントを拝見、嬉しかったです💓ちょうどその31日に六甲山の磐座巡りをしまして、案内してくださった方と磐船神社の話をしました。奈良のこと、また教えてくださいね。
Commented by ゆきとも at 2016-11-05 15:52 x
こちらこそありがとうございます!
いろんな謎解き、楽しみにしています。

奈良はまかちょーけー!と言いたいところですが、今は離れて愛知にいるのです。

私も私自身の謎解きを進めて行きます〜。

またいつか、久高島でお会いするかもしれませんね!その時はお声掛けさせて頂きますね。
Commented by utoutou at 2016-11-06 18:01
> ゆきともさん
ありがとうございます。また久高島とか、どこかの御嶽とか、ヤマトの神社でお会いしましょうね〜。
Commented by 新垣玄龍 at 2017-07-29 18:06 x
はじめまして。沖縄県出身で今は伊勢に住んでいる元極道の僧侶で42歳の者です。
以前からブログの記事を興味深く拝読させて頂いています。とても参考になり沖縄出身者として眼から鱗の記事ばかりです。
このような記事を広く読んで頂きたいために私のSNSなどでもシェアさせていただければと考えています。また伊勢に来られる際には一度機会があればお会いして話を聞ければと思っています。
今後も記事を拝読することを楽しみにしています。
宜しくお願いします。
追伸
饒の漢字は沖縄に饒平名(よへな)として残っています。とくに八重山の出身は多いと思います。
Commented by utoutou at 2017-07-31 12:05
> 新垣玄龍さん
初めまして! 伊勢にお住まいと拝見して、猿田彦神を思い出しました。3年前でしたか、伊勢志摩の古い土地を歩き、地主神は猿田彦であることを強く感じたものでした。さらに各地を歩いたいま、ブログのテーマは再び猿田彦神に戻りつつあります。八重山で言う「サダル(先導する)神」ですね。サムハラ神社の「不思議の四文字サムハラ」もサダル神の御神徳だろうと思っています。難を祓って先導する神ですから。道拓きの神こと猿田彦神を、かつて警視庁がご分霊を祀ったそうですが、そうした単なる交通安全の神様ではないのですよね。笑
前置きが長くなりましたが、SNSでのシェアもよろしくお願いします。
𩜙平名さんの情報もありがとうございます。もしや饒速日の名残りでしょうか。八重山も伊勢も、また訪れたい場所です。
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