六甲山と瀬織津姫 65 山頂の古代祭祀場

天御中主神を祀る巨大な石塔がそそり立つ
播磨富士こと高御位山(たかみくらいやま)の頂上。
登ったこのとき、時刻は15時半。好天に恵まれて、
瀬戸内海と上島(神島)を遠望することができた。
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振り向けば ↓天御中主神は北の方向に祀られている。
同じ山頂には大己貴命と少彦名命が祀られる
高御位神社も鎮座しているが、こちら↓高御位神宮。
代々の熊野別当職を務める九鬼家に伝わる
『九鬼(くかみ)文書』の「大中臣家秘録二因る神社記
抜録略』には、高御位宮の祭神として、
〜天地中柱主尊「天御中主大神」〜との神名が載る。
往古より神稜は、ここ山頂岩盤の西北にあったと。
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『九鬼文書』は、この神稜には「鬼門八神」が
鎮座しているとも記している。八神とは、
天照座大神、月夜見尊、素戔男尊、大国主尊、
豊受姫命、埴山姫命、岩烈(裂)命、根烈(裂)命。
(三浦一郎著『九鬼文書の研究』より)
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三浦氏は、昭和14(1939年)に、九鬼家当主だった
九鬼隆治氏から秘伝の古文献の研究を委嘱され、2年後
くだんの書を刊行したが、折しも太平洋戦争勃発の直前。
やがて終戦前になると、官憲の弾圧で発禁焼却処分に。
記紀神話より大きく遡る神代史が問題視されたようだ。

何しろ「神史略」の冒頭はこうはじまるのだから。
〜皇紀二萬五百餘年 天御中主神ヲ始祖トス〜


ところで、三浦氏の研究は、
山頂の祭祀場にも及んでいて興味深い(以下要約)。
☆高御位山の頂上には、禊巌、祭詞巌、典儀巌
なる三つの人工的な祭祀巌が集まっている。
☆それらは一体となり三つの様相を現している。
☆神々の御寶を蔵したという場所は、
禊巌の突出した鼻端にあり、覗くだけでも危ない。


初めての登拝だった私には、どこがどの祭祀の場か
分からず仕舞いだったのだが、
↓磐座の手前にある御水址(みもひし)は分かった。
古代人が神にお供えする水を溜めた穴らしい。
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古代祭祀遺跡は、山頂の大磐座の上にあるようで、
祓禊址(みそぎし)や盃状穴址も遺っているという。
いずれも岩盤をじかにくり抜いた祭祀用の遺構。
大己貴命や少彦名神といった神名もつかない風や
    光の神々を、姫巫女たちが降ろし崇めた痕跡だろう。   


さて、山頂でも、また下界に戻ってからも、
気になって仕方なかったのは↓こちらの小祠。
天頂の磐座に寄り添うように在った朱塗りの摂社だ。
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中央に宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、
右に佐田彦神、左に大宮能売神が祀られている。
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宇迦之御魂は、沖縄久高島や伊計島にいたと
 伝承される「7つの首の蛇(古代海人族七氏)」だ。
おそらくその中には、九鬼家と同族である忌部や卜部も
含まれていたはずで、彼らが、天御中主神を奉じて
 海を越え陸を越え川を越え、この地に渡来したのかと、
海に向かって、そのルートを妄想したことだった。

宇迦之御魂を導いたのは佐田彦神(猿田彦神)。
大宮能売神(おおみやのめかみ)は、天鈿女命の
亦名と言われるが、宮中八神のの一柱として、また
造酒司(みきつかさ)としても奉斎されたという。

神酒(噛み酒)造りは琉球や南九州の古代習俗。
久高島の神女たちも、噛み酒を醸して神に捧げた。

そして、大宮能売姫を祀るもっとも古い神社は、
京丹後市大宮町にある大宮売神社なのだという。
郷名は周枳(すき)。丹後二宮で籠神社からも近い。
やはり海神族の北上を思わずにはいられなかった。






by utoutou | 2016-11-08 09:53 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
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Commented by ゆん at 2016-11-09 01:53 x
九鬼一族は村上水軍に纏わりますか?
Commented by utoutou at 2016-11-12 08:13
> ゆんさん
こんにちは。コメントがすっかり遅くなりすみません。
纏わるかというと、古代には、どちらも海を股にかける海人族で元ひとつだろうと考えればそうでしょうが、結局は九鬼水軍(信長方)と村上水軍(毛利方)の合戦に。その意味では纏わらないと思うのですが。答えにならない答えでこれまた申し訳ありません。
Commented by たぬき at 2017-01-11 11:53 x
古代から中世に移る頃、円融天皇の御代に隣の大国、宋に留学した僧侶のチョウネン(後に比叡山延暦寺天台座主)が彼の国の朝廷に提出した我が国の皇室の系譜が残っています。
いわば外交公文書であり、当時の我が国の皇室朝廷、知識人等の認識と言えます。
日本歴代王年代記。?
第一代の始祖は、やはり天御中主尊。
第二代には、なんと、天ムラクモの尊!(実在のお方。海部氏勘中系図の三代目が天村雲命。九州に出張の後に近畿に帰還(神武と酷似した動き)。漏れ聞く秘口伝ではこの方こそ大倭国初代大王(神武のモデル)。草薙剣はこのお方の剣(最大限支援を行った出雲神族から大王即位祝賀の為に奉呈された))
、、、神武天皇迄三十数世代筑紫島(九州)に都した!!
後大和国(奈良県)に都を遷す云々

因みに、神話の高天原は葛城の高尾張(中心は御所市の高天地区)である!と10世紀の律令(憲法、法令、典礼ほか)、延喜式は名言しています。(記記神話も国が定めた(単なる歴代物語)もの。これを金科玉条のように盲信するのに、延喜式はそれを上回る最高権威の律令。皆さんはなせ信じないのか不思議です)
なんとなれば、金剛山の奈良県側からの古名が「高天山」でその東麓(日に向かう≒日向の地)高台ゆえに高天原。
高天原は言い換えると国都(ヤマト)、京都。
現代なら首都の東京(正式ではないけど既成事実化した)。

Commented by utoutou at 2017-01-13 13:28
> たぬきさん
チョウ然の歴代王年代記については、私も見たことがあります。倭国=豊国としている、というか、九州王朝説に依った記述なのでしょうが、なるほどですよね。
天村雲命はアメノムラクモのツルギもあったことですし覇者に違いないでしょうが、出雲富家の伝承を見ますと天香具山命の子となっていて丹波から葛城に移住したと。ただどうも私などは、その「丹波」と「葛城」との往来というか姻戚関係について、勘中系図を参考にすればするほど訳が分からなくなる節があります。やはり海部はあえて訳が分からなくなる系図をこしらえたというか、海人族同系を入念に埋め込んだというのが真相なのではないでしょうか。
話がすっかり外れてしまいましたが、今年もよろしくお願い致しますm(_ _)m
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