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六甲山と瀬織津姫 68 丹後のヒルコ大明神

瀬戸内海を眼下に見下ろしての六甲山磐座巡り旅。
最終日には、日本海を目指すことになった。

神戸で合流した沖縄在住の友人女性と共に。
海神(綿津見神)を崇める家系に育った彼女は、
ちょうど海神族の足跡を訪ねる一人旅の途中で、 
福岡の志賀海神社の参拝後、六甲にやって来た。
志賀海神社の沖津宮には天御中主神が祀られている
という話から、「それなら丹後へ⁉︎」と話が展開。
 古代の国名で言えば、筑紫〜讃岐あるいは阿波〜
淡路〜播磨〜摂津〜丹波〜丹後へ?
私たちは、海神族の移動ルートを思い描いた。
 

六甲から車で3時間、まず参ったのはこちら。
蛭児神社(ひるこじんじゃ)。
京都府京丹後市久美浜町湊宮にある。この季節、
蟹が旨い観光地*小天橋(しょうてんきょう)にある。
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祭神、火遠理命(彦穂穂出見命)と豊玉毘売命。
いわゆる海幸山幸の神話に由緒するという。
いっぽう、この地ならではの由来がある。
(以下、抜粋)
〜蛭児神社は古来、日留居大明神と唱え尊崇されて
きた社で、海上安全、豊漁祈念、海運厄除
御神徳の高い運開きの神様として広く信仰され〜
日留居(ひるこ)大神。始めて知る神名だ。


境内には寛政年間に活躍した千石船の模型も収蔵。
古来、日本海交易の要衝の地だったことが伺われる。
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場所は↓こちら(赤星を付けて加工した)
社務所に貼ってあったMAPを拝借。
丹後では、天橋立を東橋立、小天橋を西橋立と呼ぶ。
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13世紀まで、蛭子神社が鎮座していたという
四神ケ嶽(しじら)山を遥拝する磐座があった。
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摂社の稲荷神社。
祭神は倉稲魂命。18世紀に山城国から勧請。
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摂社の大川神社。
祭神は、五元五柱神、保食神、大己貴神、
少彦名神、埴安姫神、大土御祖神。
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晴天にも恵まれ、清々しい気に溢れた古社だった
が、参った日から何か違和感が拭えなかった。
社殿からも、由緒からも「蛭子」が感じられなかった。
記紀神話の国産みにおいて、 イザナキとイザナミから
生まれ、不具な子だったために葦舟で流された蛭児‥。

海人族はともかく、琉球とは関係なさそうだし‥と、
なかば落胆していたが、今日ようやく合点がいった。
日留居(大明神)には、実は二通りの読み方がある。
ヒルコとヒルイ。思うに、ヒルイは昼に居る神=日神。
その意味のヒルコ大明神ならば、沖縄と大いに関連する。
ヒルコとヒルメ‥‥琉球では、ウミキとウミナイ。
この地には、海神族の兄妹始祖神話が潜んでいるようだ。

by utoutou | 2016-11-23 05:37 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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