六甲山と瀬織津姫 70 宇迦之御霊命

蛭児(ヒルコ)神社で、いささか驚いたもう一件。
蛭児神社の遷宮について勅諚を発した源実朝が、
その様子を句に詠んだちょうど1211(建暦元)年
の10月、鴨長明が鎌倉に下り実朝に謁見したと、
『吾妻鏡』(1300年頃)は記している。

下鴨神社社家を出自とする鴨長明の『方丈記』は、
写本を丹波町の大福光寺が所蔵していたともいう。

そんなわけで、
丹後に縁深い長明(当時66歳)と実朝(19歳)が、
伊勢外宮の遷宮に当たるこの年、何を話したか。
豊受大神の鎮座した元伊勢・丹後を話題にしない
わけがないと思うのだが、どうだろうか‥。

また、下鴨神社「糺(ただす)の森」の語源は、
丹波道主命の正名・丹波比古多多須美知能宇斯王
が由来だと籠神社の秘伝にある。その道主命の
古墳と伝わる大明神古墳のあるこの地・湊宮を、
長明は当然のこと熟知していたはずだ‥などと
妄想を膨らませるいっぽう、往古は京の都の
表玄関であったろう丹後久美浜・湊宮の栄枯を
ここ数日、思わずにはいられなかった。


さて、実朝の詠んだ「朝日の宮の宮遷し〜」の
朝日の宮とはこの蛭児神社のことと由緒は記すが、
湊宮の西隣り蒲井・旭地区にも「旭神社」がある。
人の気のない海の近くの集落の崖上に坐している。
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『熊野郡史』(大12)に、以下の記述がある。
〜無社格 旭神社 湊村大字蒲井小字旭谷
祭神 宇迦之御霊命
往古 朝日長者の氏神と傳ふるのみにて、
勧請その他の由緒詳ならず。

境内神社 金比羅神社
祭神 大物主命
由緒 不詳 〜


旭谷の地名通り、海岸からは谷合のような立地
に旭神社はあった。集落のまさに上方に鎮座する。
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社殿裏に、いまは旭漁港という小港を見下ろす。
境内で鹿が静かに遊んでいた(写真の中央)。
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社殿の一段上の丘に金比羅神社がある。
社号標ではそう読めたが「神様の気配はないね」
「空っぽ?」と、沖縄から来た友人と言い合った。
もし語り部の視る通り、この旭神社から蛭児神社
へと、日留居大明神が遷移したというのなら、
この実感は当たりと言うことになるのだが‥。
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境内は、3段階の丘といった構造になっている。
金比羅神社のさらに高台にも小祠(写真左)がある。
港の番所かとも思うが、辺りに尋ねる人もいない。
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スマホで撮った ↓ その屋根の画像を拡大して、
私たちは声を上げた。「あら、これは船玉!?」と。
船玉神とは海人族が祀った航海安全の守護神。
琉球では「ウミナイの御霊力(おしじ)」という。
ウミナイとは、王府時代で言えば聞得大君のこと。
ヤマト言葉なら、さしずめ「オオヒルメの船玉」か。
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大綿津見神を崇める安曇族の裔という彼女は言った。
「来てよかった、これで旅の目的は果たしました」
ここが先祖が辿った長旅の終着地と感得したらしい。

宇迦之御霊(魂)命‥ウカノミタマノカミとは、
古代琉球を旅立った海人七氏族のことだと
何度か書いてきたが、この地で思った。その
御霊(魂)とは、船玉の神を指していたのではと。


丘の上の祠前から東の海を見ると、すぐそこ
に四神之嶽(シジラ、写真右)が聳えていた。
山上に日留居大明神の本宮が座していたという。
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そして日留居大明神はこの旭の山にも坐していた
と、語り部は視ている。ダブル・ヒルコか?
そして、ふたりのヒルメも彼には視えるという‥。



by utoutou | 2016-12-01 23:50 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(6)
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Commented by 七色 at 2016-12-02 23:59 x
こんばんは

7月1日夢に出てきた「水神であり狐の女神」の件を紐解いています。未だハッキリとしなかったのですが、ようやく糸口が見つかったんではないかっと

ありがとうございます。
海人七氏族 学ばせていただきます。
Commented at 2016-12-05 12:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-12-06 09:17
> おじさんさん
こんにちは。私も久高島では、まずアカララキにご挨拶をします。確か2年ほど前の「旧正月の久高島」という記事に書きましたが、アカララキでは私も祠に白い球が浮かぶのを見るという不思議な体験をしたことがあります。旧正月の朝のことでした。ビックリしてカミンチュさんに画像を見せに行くと、「白龍ですね」「フシマ(火島)に行った方がいい」と。港の南のフシマにもイラブーガマがあるのですが、私はすぐにご挨拶に行き‥‥などなど、コメントを拝見して思い出したことでした。
アカララキはチミントゥマイ(聞得大君の港)の御嶽ですね。その一帯の浜には人の生死を決める神様がいらっしゃるという話を聞いたことがあります。アカララキはイチジャマと怖れられますが、実は白龍の女神として生命を司どり、イザイホーでは神女に霊力を授けて魂の転生を促す女神だと観念されてきたと思います。つまり、琉球でいう御天母親ガナシー、ヤマトでいう瀬織津姫かなと。。
Commented by utoutou at 2016-12-06 10:06
> 七色さん
こんにちは。返信がまだでしたm(._.)m
海人七氏族‥実は昨日、語り部さんに「丹後だけでは謎は解けない」とアドバイスをもらったので、伊勢の磯部の伊雑宮に残る「七匹の鮫」伝説を思い出していました。あちらの伝説も海人七氏族のことかと。おそらく今後、大陸〜朝鮮半島を視野に入れた展開になるのではと思います。
Commented at 2016-12-06 18:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2016-12-11 14:05
> おじさんさん
こんにちは。大盃は赤椀のユノーシ(世直し)でしょうか。久高島の神歌に「サウル(ソウル)から下ゆる赤椀」とありますね。黒椀だと「大和から下ゆる」なので、見せられるのが「赤」椀というところに意味がありそうですね。テーラーガーミの記事に書いた記憶がありますので、チェックしていただけたらと思います。また何か分かりましたら教えてくださいねm(._.)m
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