六甲山と瀬織津姫 71 またもや浦島太郎

旭神社は、丹後半島の北西部、久美浜湾のさらに
西に位置する旭港を見下ろすように、鎮座している。
西へ進めば城崎方面、東は蒲井(かまい)海水浴場だ。

ここ京丹後市久美浜町の蒲井・旭地区は、30年間に
わたる久美浜原発誘致への反対闘争の舞台だったが、
住民側が勝って誘致話は撤退。景観は守られた。
おそらく古代海人族が行き交った、この港と共に。


いまは静かな佇まいを見せる村社・旭神社。
『熊野郡史』(大正12)には、「無格社」とある。
その時代で既に「崇敬者 16人」と記されている。
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集落の丘の上に建つ切妻造りの社殿は古く、
拝殿の鈴を鳴らすと頭に白い粉が降りかかった。
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由緒には、「朝日長者」との関連だけが窺える。
〜往古 朝日長者の氏神と傳ふるのみにて、
勧請其の他の由緒詳ならず。〜

この地に所縁があるらしい対偶神ヒルメ・ヒルコ
について、このところ思いを巡らせていたが、
この地にまつわる神々は、朝日長者とその一族の
 信仰に繋がるのだろうと、次第に考えるようになった。

氏神の宇迦之御霊命、摂社・金比羅社の大物主神、
そして、この地からも蛭児神社に遷座したらしい
 日留居大明神(太陽神・ヒルコと思われる)も‥。

語り部は、この旭と四神ケ嶽(シジラ)には、
ヒルコ・ヒルメが「ダブルで祀られている」と言う。
その意味は、視えない私には未だに分からないが、
日神を奉じる海人氏族同士の婚姻が、少なくとも
2度にわたって行われたのだろうことは、想像がつく。
つまり、朝日長者は、時代を超えてふたりいた?


朝日長者で名の残るのは、味鎌麿。第13代
成務帝(異母兄弟にヤマトタケル)期の人という。
       
その長者ぶりは、次の童謡で知ることができる。
〜 朝日さす夕日てるてる三枚畠の真ん中に
黄金千枚縄千束 〜

次のような、エピソードも残る。
〜金鶏塚と称するものがあり
長者の宝物金の鶏埋めていたという〜  
(※いずれも『『丹哥府志』(江戸時代後期)より)


味鎌麿の名が含む「鎌」の字と、この地形からは、
朝日長者=産鉄長者といった推理が成り立つ。
古代産鉄の炉「たたら」は、主に急斜面に造られた。
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摂社・金比羅神社(写真右)から南を見る。
社殿の向こうに旭岳と呼ばれる急峻な山が迫る。
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江戸時代の旭港は、廻船の停泊地だったという。
御城米を江戸や難波に送る船積み場所だったとも。
味鎌麿の時代から続いた米どころだったのか。
文字通り朝日と夕日を望むことができる景観も特徴。
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朝日夕日の両方が見える土地は、全国でそう多くない
が、各地の「朝日夕日伝説」の主役は産鉄長者である。
もはや古代産鉄のバイブル書とも言える真弓真常氏の
 著『古代の鉄と神々』に、朝日夕日伝説の解説がある。

(要約)
☆朝日さす夕日輝く地とは、財宝ならぬ鉄の在り処。
☆その地は、主にスズ鉄(褐鉄鉱)を産する。
☆その地では、農耕栽培と太陽神祭祀が行われた。
☆その地には、山間の僻地で海人族が住んでいた。
☆その地には、日置姓の家が多かった例がある。

そんな折、語り部から連絡があった。
「朝日長者についてもっと知りたいなら、
伊勢志摩の浦島太郎伝説に、多分ヒントがあります」

久々に、浦島太郎‥!? 
彼は日下部の首、丹後国与謝郡の日置の里の人だった。




by utoutou | 2016-12-06 19:48 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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