六甲山と瀬織津姫 76 丹後のカヤノ姫

加耶と同じ「かや」を含む古代地名は各地にあった。

伯耆国の蚊帳郷、但馬国の賀陽郷、筑前国の加夜郷、
備前国の賀夜郷、大隅国の鹿屋郷、播磨国の賀野郷。
また出雲国や因幡国の大草郷の「草」も「かや」と読む。
すべて加耶から渡来した人々の居住地だったという説がある。

503年に新羅に併合された南部朝鮮の加耶(かや)。
その小国家群は、百済や新羅のように国家として、
ひとつにまとまることは最後までなかった。

加耶には、いつかの表記と読み方があった。
田中俊明著『古代の日本と加耶』より、以下要約。

☆加耶の最古の史料は広開土王碑(414年)で、
「任那加羅」とあり、「任那という加羅」の意味。
☆『三国史記』は主に加耶と記しているが、他にも、
伽耶・加良・伽落・駕洛とも表記している。
☆朝鮮音では「ka-rak」、日本音では「カラッ」。
加耶「ka-ya」は「ka-ra」の「r」音が転化したもの。
☆『日本書紀』では、主に加羅と表記している。
☆『梁書』の加羅、『隋書』の迦羅、あるいは
『続日本記』の賀羅も、みな加耶・加羅の異表記。

「かや」「から」を含む地名は、しかし、残念ながら、
摂津・丹波・丹後には見つけることはできなかった。

ただし‥
加悦谷(かやだに)なら丹後半島の付け根にあった。
加悦町も、町合併で与謝野町となる'06年まで存在した。
加悦谷の南北を流れる野田川は、天橋立の内海
(阿蘇海とは由緒の気になる名称だが‥)へと注ぐ。
川を遡れば、与謝野町字加悦に、蛭子山古墳がある。

この蛭子山古墳という名もまた意味深である。
水蛭子や、蝦夷や夷狄といった蔑称をつい連想する。

さて、
その蛭子山古墳は、網野銚子山古墳、神明山古墳と
並び称される丹後の三大古墳のひとつだが、
築造の歴史は最古で、4世紀中頃であるという。
丹後を初めて拓いた首長の陵墓だろうか。



蛭子山古墳。現在は与謝町古墳公園として整備
されているが、旧名は加悦町古墳公園といった。
※写真は、そのパンフレットより拝借。
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蛭子山古墳(現・与謝町明石)のある旧加悦町。
※地図画像は同じく古墳公園のパンフレットより拝借。
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ところで、加悦町には、四社の神社があった。
天満神社、二宮神社、一宮神社、七谷神社。
また、加悦町与謝に、驚くべき神社が鎮座する。

王子神社(上宮社と下宮社がある)。
455年、後の雄略天皇に殺された市辺押磐皇子の
遺児たち、億計(おけ)王子(後の仁賢天皇)と、
弘計(おけ)王子(後の顕宗天皇)を祀っている。
二王子は臣下の日下部蓮使主と共に丹波国与謝郡
へ逃亡して潜伏、難を逃れたと言われているが、
逃亡先は、当然のこと日下部氏の勢力範囲だった。

『日本書紀』には、まず潜伏した先として、
「丹波国余社郡」の名が見えるが、この場合の
丹波国は、和銅6(713)年に丹後国が分かれてから
の丹後であり、つまり浦島太郎伝説に出てくる与謝郡
のことであり、その浦島子は日下部首の先祖であった。

蛭子山古墳のある加悦は、日下部の根拠地だったわけだ。
宝貝の交易で朝鮮半島や大陸とを往来した豪族。
その故地は南九州で、母神は鹿野姫と書いてきたが、
丹後の加悦には、鹿屋姫を祀る神社もある。



天満神社(与謝野町加悦)の摂社・吾野神社には、
吾野廻姫命(かやのひめのみこと)が祀られている。
※写真は、同じく神社拾遺さまサイトから拝借。

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梅本政幸著『丹後路の史跡めぐり』には、
「加悦町」の語源が二通り、紹介されている(要約)。
☆朝鮮の任那の中に加耶(かや)という国があった。
☆加悦の安良(やすら)は昔、安羅と書かれたが、
任那の中に安羅(あら)という町があった。
現在の咸安(かんあん)である。
☆吾野神社に祀られるのが萱野媛(かやのひめ)
であるところから、この加悦谷盆地に
その名がつけられたとも考えられる。


萱野姫とは鹿野姫のことであり、
かぐや姫であり、後に瀬織津姫と呼ばれる姫たちである。





by utoutou | 2016-12-30 14:23 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2016-12-31 11:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2017-01-04 12:34
> ゆきともさん
こんにちは。三ケ日が過ぎてしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。
和邇下神社は近くの大和郡山市にもありますよね。こちら横田物部の関係、また天理の櫟本のほうは文字通り和邇氏の関係で、つまり同族ということを分からなくしているのだろうと思っています。
久高島に住んでいらしたのですね。瀬織津姫は海人族の姫神の総称と思いますが、龍ちゃんは仰る通り男神でもあったかもしれませんね。つまり、アカララキは男女神と考えて差し支えないのでは。そう思ったのは、私もついこの年末のことです。
加耶の話を書いていて、ふと、というか、とうとう、アカララキは「大加耶(=アカラ)の御嶽」なのだろうと悟りました。詳しくは、近々ブログ記事に書こうと思いますが、その女神は後世に瀬織津姫と総称される姫神中の姫神なんだろうなと。
お産のときに見ているだけの龍さんたちのことはよく分かりませんが(すみません笑)、ゆきともさんは龍神にご縁があるのでしょうね。今年もよろしくお願いします。
Commented by ゆきとも at 2017-01-06 05:33 x
つらつらととりとめもないコメントに丁寧にお返事してくださりありがとうございました。
これからも楽しみにしております。
久高島、玉城、私の大好きな場所です。こちらのブログのおかげでその場所がもっともっと好きになりました。
Commented by utoutou at 2017-01-09 11:07
> ゆきともさん
こんにちは。玉城知念そして久高島、私も大好きな場所です。沖縄本島南部は大陸の歴史にも通じる奥深い土地柄だと思っています。今度はお子さまとご一緒にぜひ。。笑
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