語り部の言う4種類の幣帛は大嘗祭の祝詞にあった。 新しい天皇が先代より霊力を継承する即位式に 奉じる幣物(供物)を忌部氏に備えさせる内容で、 次の4種類の幣帛(布)についての言及がある。 〜明妙(あかるたえ)・照妙(てるたえ)、 荒妙(あらたえ)・和妙(にぎたえ)〜 意味は順番に、美しい幣帛、輝くような幣帛、 布目の荒い幣帛、柔らかい幣帛。それはおそらく、 古神道にいう「一霊四魂(いちれいしこん)」 である、幸魂・奇魂・荒魂・和魂に対応して 奉じるられるのではと、語り部と話し合った。 さて、知りたいのは幣帛の産地である。 語り部は伊射波神社のある鳥羽の加布良古岬に 「蚊帳のように薄い白妙」と「天皇らしき男性」 を視たと、言ったので、その白妙は もしかすると大嘗祭で影向されるはずの神の衣を 織るための幣帛なのだろうと、私は思ったが、 白妙の産地は、はたして伊射波神社の坐す鳥羽か? 『延喜式神名帳・践祚大嘗祭巻(927年)』に、 幣物の産地や数量が詳細に指定されており、 それによれば、例えば、式のための食材と幣帛は、 阿波国、淡路国、紀伊国から提供されるとあった。 細かく見ると、紀伊国の「海部郡」、つまり現在、 ↓ 日前・国懸神宮の坐す旧・名草(なぐさ)である。 いっぽう、 神御衣織る糸の産地として『延喜式』に掲載 されているのは、三河国宝飯郡という地である。 研究書『践祚大嘗祭』(田中初夫著)によれば、 その地は、現在、赤日子神社のある愛知県蒲郡市で、 そこから供進される糸は古来「赤引きの糸」と呼ばれる。 なるほど、蒲郡市HPを見ると、三河地方では 養蚕の歴史が古く、赤日子神社は養蚕の祖神を祀る 代表的な神社だという。※写真も同サイトより拝借。 そうだったのか…と、 何かこうカチカチとバズルがハマる気配がする。 まず、赤日子神社の主祭神は、彦火火出見命と、 豊玉彦・豊玉姫で、安曇族の崇める綿津見神である。 古来、渥美半島には安曇族がいたことを裏付ける。 いっぽう、養蚕を日本にもたらしたのは紀元前 に揚子江の河口にあった越に破れた呉の太伯 の家臣だった安曇族という説がある。 ちなみに話は少し脱線するが、アマミキヨの 渡来したヤハラヅカサがある土地は百名といい、 古代琉球はここから広がったと伝わるが、私は ↓百名海岸に着いた琉球の始祖・アマミキヨは、 「百越」から来た安曇族の長だろうと考えている。 そもそもアマミキヨの語源は安曇・海部・奄美。 語り部は、アマミキヨ直系・ミントン家から出た 「琉球の稲作の祖・天祖(あます)のアマミツ」 とは「安曇磯良のことだ」と、常々言っている。 「アマミツは、海(天)津見神のことだ」とも…。 また、伊射波神社と並び称される志摩一宮・伊雑宮 の祭り「磯部の御神田」では、「太一」の大扇をーが 用いられるが、それは「太伯」にちなむものと思う。 「太一」は、安曇ら海人族が崇めた天御中主神である。 思えば、大嘗祭の幣帛を提供した紀伊国の海部郡 (名草)にも、安曇族が盤踞していたに違いない。 以前も書いたことがあるが、神功皇后の新羅遠征 に参加した人物に、「志賀の海人・名草」がいた。 筑紫の志賀島は安曇族の本拠地だったが、 伊勢・志摩・三河・紀の国にも分布していたのだ。 伊勢に天照大神を鎮座させた垂仁天皇の皇女 ・倭姫は海部の女。『古事記』によれば、その母 ・日婆須比売は、丹波道主命と川上麻須郎女の娘だが、 母方の祖父で丹後久美浜にいた豪族・川上麻須郎は、 日下部・安曇・和邇と同族だったと思う。 言い換えれば、加耶から来た渡来人だった。 丹後は元伊勢と呼ばれるが、 その元伊勢の元伊勢は、伊勢だったのではないか。 語り部はどうやら、伊勢に先住した安曇族は、 呉から来て沖縄を経由したアマミキヨと見ている。
by utoutou
| 2017-01-20 22:15
| 瀬織津姫
|
Trackback
|
Comments(2)
Commented
by
雅
at 2017-02-09 23:04
x
楽しくブログを拝見しています。
海部や赤日子神社が出てきて、ふと昔から感じてきたことが実感できた気がします。 見当違いの話になってしまうかもしれませんが… やはり、伊勢湾周辺には海人族がいたのだなぁと。 地図で伊勢湾をぐるっと反対から見ると、渥美半島から伊勢にかけた自然の要塞?防護壁のように見えます。 まだまだ海面が高かった頃の大和と同じような。 今より海面が高い頃は伊勢湾から琵琶湖に抜けられ、 その先の丹後と尾張は今でも方言が同じです。 この2つの地域は語彙が似ており母音が6つあります。 職業柄、言葉から古代の片鱗を覗きつつ、ブログの内容、非常に勉強なります。
0
Commented
by
utoutou at 2017-02-12 06:56
> 雅さん
コメントありがとうございます。私も先日、赤日子神社を書いているとき、渥美半島のアツミはアマミキヨの語源だと思いました。アマミキヨのアマミは、アマべ・アマミ・アズミの転化と言われますが(キヨ・キョ=人)、アツミも入れるべきかなと。 丹後と尾張は方言が同じというのは初めて知りました。同族なら同じなのは当然でしょうが、元々はどこのイントネーションなのでしょう。 方言と言えば、出雲と東北も似ているようですね。松本清張の『砂の器』の冒頭で被害者が話していたズーズー弁。その訛りは古代に出雲族が東北へ逃れた痕跡とか。私の友人に、それを聞きたくて奥出雲を旅した夫婦がいます。 と書きながら、「隼人」を思いました。沖縄に「隼人の語源は南風人だ」と言った人がいます。南風は「はえ」と読みますが、隼人(熊襲)と琉球人(南風人、はえと?)は同根だと考えて。確かに、鹿児島とか宮崎の方言は琉球と似ているなあと、いつも思います。そんなわけでブログ次回は熊襲にも触れようかと。ありがとうございました。
|
by utoutou カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||