六甲山と瀬織津姫 86 宗像の瀬織津姫大神

織津姫神を祀る波折(なみおり)神社は2社ある。
うち有名なのが、福津市津屋崎にある波折神社。
宗像郡誌 上編』に、長文の由緒が記されているが、
なんと、神功皇后の三韓遠征ゆかりの古社という。

(以下、由緒要約)
☆神功皇后が三韓遠征から凱旋したとき、
瀬織津姫神・住吉大神・志賀大神がこの地の鼓島に
現れたので、海辺の河原に神籬を造ってお祀りした。
☆昔、この浦の3人の漁師が沖合で大風・荒波・雷に
 遭うも、三神が現れて波が凪いだので鼓島に漂着した。
 そこで3日間、風待ちすると三神が現れ飲食を授かった。
☆港に生還してから船に残された3個の石を見つけた
ので、波折大神の御神体として祀った。

祭神は、瀬織津姫神・住吉大神・志賀大神。
神社側の由緒では、瀬織津姫も「大神」となっている。

瀬織津姫は「縄文の女神」と呼ばれるいっぽう、
中臣神道では「禊ぎ祓いの神」に格下げされるといった
後世の悲劇がクローズアップして語られがちだが、
記紀成立からはるか昔、神功皇后の時代の4世紀には、
この地の「大神」として、崇められていたのだと分かる。



宗像神社の10㎞南西、津屋崎にある波折神社。
福津市観光情報「ふくつのじかん」サイトより拝借。
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さて、もう一社の波折神社は、
田野郷(宗像市田野)に坐す依嶽神社の摂社。
宗像郡誌 上編』によれば、宗像大社の75末社の
ひとつとして祀られているのは、こちら。
祭神はやはり、瀬織津姫・住吉神・志賀神の三神だ。

田野や、さらに隣接する上八(こうじょう)の地域は、
縄文後期の鐘崎貝塚にも近く、宗像氏の故地だった。
依嶽神社は古名・与里嶽宮(よりたけのみや)。
室町時代にこの神社を造営した宗像氏の棟札が、
昨年、社内から発見されたとニュースになっていた。

現在、宗像大社の東を流れる釣川は、往古には蛇行
して田野・上八地域に流れていたという。そして、
金山と銅山があった。縄文集落の適地だったようだ。


↓波折神社は田野(赤☆)と津屋崎(青☆)にある。
現在、宗像大社のある場所は田島(橙☆)。





では、古来、宗像大社(辺津宮)はどこにあったか?
『筑前国続風土記』によれば、海濱宮(へつのみや)は
 神湊にあったというから、↓フェリー港あたりとなる。
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宗像宮司家が秘祭していたと思われる瀬織津姫
について少しずつ分かってくると、宗像大社に坐す祖霊社
に参拝しなかったことが、いま、しきりと悔やまれる。


拝殿本殿から神宝館の前を通り、バス停を目がけて
急いでいるとき、祖霊社を目の端にしつつスルーした。
思えば、祖霊社は境内の丑寅の方角(東北)にあった。
祭神は宗像三女神となっているが、その実、
鬼門を守るべく瀬織津姫をお祀りしていたのではないか。


↓ 心字池に見とれていた私の背後に祖霊社はあった。
「見逃した神様は大きい」とよく思うが、またもや…笑。
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などなど、波折神社や瀬織津姫について語り部に
話していると、突拍子もないことを聞かれた。

「で、瀬織津姫とは、どの神様のことですか?」
うむむ…と思いながら答える。
「撞賢木厳之御魂天疎向津姫…ではないんですよね」
「琉球に降臨された神様です」
「ああ、あの女神。いよいよですか」
「はい、菊理姫(くくりひめ)のことだと思います」
またの名はキリコエアケ。倭の国の女神である…。






















by utoutou | 2017-02-10 11:07 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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