人気ブログランキング | 話題のタグを見る

六甲山と瀬織津姫 111 ウサ族の瀬織津姫

弥生遺跡の出た青谷(鳥取市)から、長尾鼻の岬を左に
見ながら東に車を走らせると、↓ 展望台(魚見台)に着く。
そこからは鳥取砂丘と、白兎神社のある海岸が正面に見える。


案内板の上部にご当地民謡「貝殻節」の歌詞が1行あるが、
その「何」の先あたりに見える海岸線が鳥取砂丘。また
「の」の先あたりに白兎海岸が見える。対岸までの距離は、
海沿いの国道9号線で12〜3㎞。車で15分とかからない。
六甲山と瀬織津姫 111 ウサ族の瀬織津姫_a0300530_13263671.jpg





いっぽう、青谷上寺地遺跡を位置は↓こちら(左の赤丸)。
長尾鼻の付け根の西側から1㎞内陸にあるこの弥生遺跡こそ、
『因幡の白兎』神話の舞台ではないかとの異説が、最近ある。

確かに、ここ気高郡(旧地名)と神話の舞台「気多の岬」
という地名の類似や、大国主の時代と遺跡年代の符合、また
朝鮮半島や出雲からの海流がぶつかる良港としての地勢や、戦乱
を物語る遺物(殺傷痕のある人骨)など、頷ける材料は少なくない。
六甲山と瀬織津姫 111 ウサ族の瀬織津姫_a0300530_13561809.png




さらに、白兎とワニの神話とは、ウサ族とワニ族の部族間抗争
の例えなのではないか…との新説を唱える向きもある。

青谷上寺地遺跡から出た遺物(銅剣、木製品、土器)に、
まったくワニを思わせる線刻画が多数描かれているためだ。
魚説、イルカ説があるなか、確かに背ビレが2つある絵がある。 
↓展示館発行の資料にも、「サメを神聖視する思想が広まって
いたかのかも」と、和邇族の存在を思わせる解説が載っている。
六甲山と瀬織津姫 111 ウサ族の瀬織津姫_a0300530_18425078.png





日本列島に先着渡来して古代豪族となった和邇族。
そのトーテムは、文字通り鰐鮫だと古くから言われている。
この国に鰐は生息していないが、東南アジアや中国南部にはいる。
和邇族が大陸にいた当時に出会っていた爬虫類の鰐、あるいは、
海のフカや鮫に対する畏怖の念は、龍蛇信仰とも通底する。

思えば、白兎神社の社務所で見た由緒板も、ワニを漢字で
「和邇族」と記していた(写真右の赤丸部分)。次のように。
〜白兎海岸  神社の北方150メートルの海岸で、
白兎神と和邇族との古戦場である。〜 

このリアルな表現は何ゆえかと調べると、そもそも『古事記』
の原文は、ワニは「和邇」、ウサギは「菟」と表記していた。
六甲山と瀬織津姫 111 ウサ族の瀬織津姫_a0300530_17424135.jpg




では、ウサ族の裔・宇佐神宮宮司家の口伝ではどうかと、
宇佐国造五十七世である宇佐公康氏の著書で確認してみると…。
『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』('90年、木耳社)に、
菟狭族の来歴と、「稲羽白兎の伝説〜」と題した項があった。
(以下要約)

☆菟狭族は9千年前の早期縄文時代から山城国の稲荷山を
根拠地として原始生活を営んでいたが、8500年前に
猿田彦族が進入してきたので、分裂して集団で各地に移った。
☆移動先は古の吉備国、隠岐諸島、北陸、関東、国東半島など。
☆そのうち、吉備の高島は、古代日本の政治文化の中心になった。

☆古の因幡は隣国の伯耆とともに古くから豪族の出雲が統治
しており、その統治下に菟狭族や和邇族がいた。
☆和邇族の祖神はワニ神、菟狭族の祖神はウサ神だった。
ウサ神とは動物の白ウサギではなく、月神のことである。

☆白ウサギがワニに皮を剥がれて赤裸になったという
伝説は、菟狭族が和邇族との経済上の取引に失敗して資産
を押さえられ、赤裸になってしまったことを物語っている。
☆伝説中、ウサギがいたのは現在の鳥取市ではなく、島根県
の壱岐諸島で、菟狭族は、この本土と朝鮮半島との交通の要地
にも住み、石器時代から自給自足の農漁業を営んでいた。
☆壱岐諸島の領有権と全財産を和邇族に奪われた菟狭族は、
大国主命の仲裁で、因幡国八上の地に移住することになったが、
そこには八上姫と女性いうシャーマンがいた。大国主命は、
八上姫と夫婦の契りを結んで、八上地方の統治権を獲得した。
☆九州の宇沙に移動するまで、縄文時代から長い年月を要した。


ところで、宇佐公康氏の著した伝承の書には続編があった。
『宇佐家伝承 続・古伝が語る古代史』('90年、木耳社)。
購入から何年か経っていたのを初めて読んでみて、驚いた。
宇佐神宮の奥宮・御許岳山頂の禁足地について記されていた。

☆御許山頂に三女神が降臨する以前から祀られていた宇佐明神
とは、天御中主神に直属の撞賢厳之御魂という原始太陽神で、
天疎向津比売命(あまざかるむかつひめのみこと)、
天照大日貴命(あまてらすおおひるめむちのみこと)とも呼ばれた。
☆その聖地は天地根元の神を祀った日少宮(ひのわかみや)
であり、神籬山・神奈備山であり、古代菟狭族の墳墓である。
☆宇佐一円には古墳時代の墳墓も多いが、ほぼすべて御許山を
 向いて築かれ、遺体も頭を御許山に向けて埋葬した形跡がある。


菟狭族が崇めたのは、撞賢厳之御魂 天疎向津比売命
(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめのみこと)。
後に瀬織津姫と呼ばれる女神だった。

菟狭族の八上郡への移住こそが、一帯に白兎神(ウサ神)
と瀬織津姫とを祀る神社が多くある理由だったのだろう。

「ウサ神は月神」というのも、考えさせられる伝承だ。
琉球で瀬織津姫(弁財天)にあたる神とされる御天母親加那志
とは、御天父親加那志(天御中主神)の伴侶であり、月神であり、
星々を生む根元の母神。菟狭族が祀った女神とよく似ている。


白兎おみくじに見る恋愛成就の神徳とは、やや趣が異なる?
六甲山と瀬織津姫 111 ウサ族の瀬織津姫_a0300530_17140975.jpg






by utoutou | 2017-06-07 15:08 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 六甲山と瀬織津姫 112 吉備... 六甲山と瀬織津姫 110 隼人の盾 >>