六甲山と瀬織津姫 112 吉備の瀬織津姫

壱岐諸島を離れて因幡・八上郡を根拠にした菟狭族
は、さらに、山陽・北九州・東九州へも発展して、
古の菟狭国は大いに繁栄したという。そして…。
『古伝が語る古代史』(宇佐公康著)は、その所領地
についても記している。(以下要約)

☆所領地だった筑豊・日向・肥後・肥前のうち、最たる
ものは備前で、古の菟狭国の神都は備前なり。
☆ことに吉備の高島(現・岡山市)は古代日本の中心だった。
☆神武も東征の途中で、そこに高島宮を置いた。

つまり崇神天皇の時代、四道将軍のひとり彦五十狭芹彦命
(後の吉備津彦命)が平定(鬼退治)のため派遣された
とき、吉備には既に菟狭族がいたということになる。


思えば、1ヶ月半前、「因幡の白兎」の舞台・因幡から
美作へJRで南下、さらに岡山から空路東京へ帰る旅の最後
に、ふと足が向いたのが吉備津神社(岡山市北区)だった。




吉備津彦命を祀る吉備津神社・拝殿。
吉備を平定した吉備津彦命とその一族を祖神として祀った
 のは、命から五代目の加夜臣奈留美命(かやおみなるみ)。
一説には、吉備海部直の娘を娶った仁徳天皇による創建とも。
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鬼退治の桃太郎のモデルになった大吉備彦命は、第七代
孝霊天皇の皇子という。仁徳天皇にしろ、いずれにしろ、
創建が王権と関わり深い一族に依るためか、境内はどこも
かしこも豪華絢爛。社号の扁額は黄金色に輝き、国宝である
比翼入母屋造の本殿・拝殿は、出雲大社の2倍以上の大きさ。
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JR吉備津駅から数百m続いた松林の参道も立派だったが、
境内を貫く廻廊は、これも400mあるというスケール。

↓ 境内図の左下(北東)から鳥居を潜ると拝殿への石段がある。
この境内摂社の配置は、吉備津彦に討たれた怨霊を鎮魂している
(封じている)…。と、気がついたのは参拝後のことだったが。
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「怨霊」として、神社の由緒に登場するはずもないが、
吉備津彦命が「退治」したという鬼神とは、温羅(うら)。
伝承では百済から渡来した王子ということになっており、
性格は極めて凶暴、悪事を働き人々を困らせていたという。


その居城だった鬼ノ城は、神社の北西(写真左方向)に
15㎞離れた国新山(総社市)にいまも残り、また、北東に
(写真右方向)に鎮座する本殿のその先2.5㎞には、やはり
温羅の霊を祀る艮御崎(うしとらおんさき)神社が鎮座する。

本殿内部の北東方角の隅にも、同神社の小祠が鎮座する
というから、おそらく内外の艮御御崎神社は相対しており、
艮→乾の方角へ、吉備津彦神社の本殿を貫いて鬼ノ城を遥拝
する祭祀空間設計になっているのではないかと思われる。
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↑ 上の写真は、吉備の地主神・建日方別神を祀る若山宮 ↓
を背にして撮ったものだが、長く真っ直ぐな階段を
降りた先に位置する御釜殿のその地下に、吉備津彦に
跳ねられた温羅の「鬼の首」が埋められているという。
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若山宮から、御釜殿の方向を見下ろす。階段の両脇は
紫陽花の花壇ということで、ちょうど今は見頃だろうか。

御釜殿では、現在も吉兆を占う鳴釜神事が行われている
というが、小廻廊が、メインの廻廊から枝分かれして、
建物の前まで続いているのは、多くの境内社でも御釜殿のみ。
その点からしても、温羅のタタリを怖れ、鎮魂の勤めが休み
なく続けられてきた長い歴史が窺われるようだ。
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ところで、廻廊を真っ直ぐに進んだ先、境内のもっとも
北西に本山宮があり、その脇に西門の鳥居があった。
小道を隔てた先は、境外の御嶽となっているようだった。

その御嶽に滝祭神社が鎮座し、瀬織津姫が祀られていると
知ったのも、迂闊にも帰路についてからのことだったが、
その女神が菟狭族の崇めた太陽神と知ったいまでは、納得。
(写真は、吉備津神社HPより拝借しました)
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↓ 境内地図を拡大して見て、西の端(赤丸を付けた)に
滝祭宮があるのを知ったのだったが、後の祭りだった。
ちなみに地図上部、緑色のエリアは吉備津彦命の御稜である
中山茶臼岳古墳。まさしく祓戸の神・瀬織津姫が寄り添う…。
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きょう、語り部に電話で意見を求めたいことがあった。
温羅のウラは、浦島太郎のウラと同義だろうか?
単なる直感だが、私にはそうとしか思えなかった。
浦島太郎は元来、「浦の島子」「浦の長だった嶼子」
という意味だったはず。

もし「ウラ」が古代海人族とか、津々浦々に住んだ
原住民族を指す言葉だとしたら、どうだろう?

聞くと、語り部は言った。
「ようやく気がつきましたね。そうだと思います」
「丹後の浦島神社は正式には宇良神社といいますし、
温羅も、宇佐族と関係のある人物かもしれませんしね」
「沖縄の国頭村には、宇良という地名がありますよ。
宇良さんていう名字も。語源は琉球にあると思います」
そうだったのか…。









by utoutou | 2017-06-11 12:09 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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