つまり、4世紀頃に築城されたという吉備津彦の御陵こと 中山茶臼岳古墳も瀬戸内の「浦」を見下ろす最高の立地に あった。その場所は当然のこと「鬼」を征服した側よりも、 征服された側、吉備王家を築いた一族の墓にふさわしい。 吉備津神社の拝殿の天井には、菊の御紋の提灯。また、 注連縄の上の扁額には「平賊安民」とあって何やら意味深? 中山茶臼岳古墳が吉備津彦御陵として宮内庁管轄となった のは明治時代のこと。その考古学的根拠は乏しいと言われ、 被葬者は「海を支配した王」とする声もあるという。 つまり、その王とは「浦の嶼子」だったとも言えるか…。 なんだか浦島太郎と桃太郎が脳内で混乱してきた。 ↓写真は、吉備津神社境内の「桃太郎みくじ」。 ところで、吉備国は「真金吹く吉備」と呼ばれた。 〜真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ〜 と言う歌が「古今集」に。「真金吹く」は吉備の枕詞なのだ。 吉備王家が繁栄した源泉は、吉備で産出する鉄であり、大和 朝廷が吉備に屯倉を置いたのも、鉄を狙ってのことだった。 と、こうして美作〜因幡〜吉備と駆け足で廻った旅を 振り返るのも、そろそろお仕舞いかと思ういっぽう、 それにしても、この旅がアマミキヨとどう関係するのかと、 やや疲弊気味になっていた数日前、語り部が言った。 「もう、因幡のことは終わりですか?」 「はい、ネタが尽きたようで…」 「因幡と吉備に渡来したのは、同じ一族だと思います。 琉球にも関係があるかと。共通点は何かありませんか?」 うむ…と悩むこと三日三晩。今朝ようやく気がついた。 弥生時代の船である。鳥取の青谷上寺地遺跡と、 吉備から分かれた備後の御領遺跡(福山市神辺町)に 遺る船の線刻画は酷似している。沖縄のハーリー船とも…。
by utoutou
| 2017-06-16 16:20
| 瀬織津姫
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