六甲山と瀬織津姫 99 神功皇后の審神者(さにわ)

神功皇后の忠臣・武内宿禰の身代わりで自刃したと
 いう悲劇の人・壱岐真根子は、三韓遠征に従軍した後、
「防衛のため」壱岐に派遣され、壱岐氏の祖となった。

父は雷大臣(いかつおみ)。
亦の名は中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)。
天児屋根命を祖とする、中臣氏の裔だったという。

さて、真根子が派遣された壱岐という島は
半島と列島を繋ぐ海路の中継地点だが、それゆえ、
弥生時代から朝鮮半島由来の製鉄技術が根づいていた。

壱岐にある弥生時代(1〜3世紀頃)の環濠集落
カラカミ遺跡から、日本最古と考えられる製鉄炉跡が
見つかったのは、つい数年前のことだ。
炉跡は半島南部の遺跡に見られる精錬炉跡と似ていた
といい、炉に風を送るフイゴや鉄材も出土したという。

「魏志倭人伝」に一支国(いきこく)と記される壱岐は、
朝鮮半島の資源を入手して製鉄を行なっていたわけで、
「倭人が朝鮮半島南部で産する鉄に頼っている」と記した
「魏志東夷伝」の内容は、ほぼ正しかったことになる。

では、そんな壱岐という島へ、
 三韓遠征の後になって真根子が派遣された理由は何か。
「(三韓から)防衛のため」とされるのは本当なのか。 
父・雷大臣は対馬に派遣されたというが、なぜ父子とも?



壱岐の製鉄炉跡発掘のニュースが流れた'13年の末、
高良大社(久留米市御井)に参詣していた。壱岐真根子
は、こちらの祭神・高良玉垂命(竹内宿禰)の忠臣だった。
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高良玉垂命の9柱の御子神を祀る摂社・高良御子社。
写真右端に屋根が見える末社・真根子社の撮影は失念した。
高良大社HPによる境内社の案内はこちらに。
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しかし、いま、三韓遠征で果たした雷大臣の事績を
 思うとき、一族の役割がいかに重要だったかが分かる。

雷大臣は、神功皇后の審神者(さにわ)だった。
審神者とは、神託の意味を解く神人のこと。三韓
遠征を前に、仲哀が崩御した事情を聞く場面に登場する。

『日本書紀』神功皇后の項を以下要約してみる。

☆仲哀9年、天皇は筑紫の香椎宮で亡くなった。
☆皇后は斎宮に入り、自ら神主となって竹内宿禰に
琴を弾かせ、中臣烏賊津使主を審神者として問うた。
☆「仲哀に祟った神の名」について、イカツミは答えた。
「伊勢の五十鈴宮に坐す撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」と。

天照大神荒魂こと瀬織津姫に、仲哀が祟り殺されたのは、
新羅出兵という神意に背いたからと『紀』は言外に言うが、
どうもその神託とは、「鉄」を抜きには語れないようだ。

伽耶諸国、そして新羅は鉄の一大産地だったことは、
「沙比新羅(鉄の新羅)」の言葉があったことで分かるが、
神功皇后が産んだとされる応神天皇の時代になると、
半島内の動乱や高句麗の南下によって、新羅系や百済系の
製鉄技術者が大挙して渡来してきた。それから考えるなら、
三韓遠征とは、製鉄の技術移転を図った一大プロジェクトだった。

そのコーディネーターが、紀一族だったのではないか。
神功の船団が、紀州の港から出て紀州へと帰ったこと
からも、瀬戸内海周辺での立場や絶大な軍事力が窺える。



竹内宿禰や真根子の母方である紀直は、
↓日前神宮・国懸神宮を奉祀する神職家で、そこには
天照大神の鏡に先立って造られたという
日像鏡・日矛鏡が、御神体として祀られている。
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紀氏は始祖として、須佐之男命と五十猛命(イタケル)を
崇めたが、その神には鍛治神の神格があり、
また、伊都国県主の五十迹手(イトテ)にも通じる。
 『契丹古伝』は「五十迹手は倭の王だった」と記している。

竹内宿禰、そして雷大臣・壱岐真根子の父子は、
「鉄の5世紀」を招来した、倭王の末裔だったと思われる。




by utoutou | 2017-04-02 13:05 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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