六甲山と瀬織津姫 131 聖徳太子

アカララキは、久高島から遠ざかる船からも見える。
アカラ嶽と表記した古書もあるので、アカラ御嶽…
つまりは、「アカル(姫の)御嶽」となり、語り部が
ここにアカル姫を霊視したのは自然な流れのように思う。

アカル姫を追って来た都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)
という神名(日本書紀)も、「角のある人」のことならば、
アマミキヨの特徴とも一致するのだけれども、しかし…。

アカル姫が「琉球の宝珠」「琥珀の赤い玉」を持っていた
と感得したその意味が、私にはいまひとつ分からなかった。
もちろん、記紀にアカル姫と琉球を結びつける記載はない。
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が、そのミッシングリンクが分かるときが来たようだ。
ヒントは、読者の方からいただいたコメントだった。
(※右の「最新のコメント」欄をご参照いただければと)

曰く、マニ宝珠(赤い玉)について書いたブログがあると。
これは大変だとばかり、語り部に宝珠の画像を送ると、
「本物の琉球の珠に違いない」と、返電で言うのだった。

ブログによれば、御神霊(マニ宝珠)は聖徳太子の頃、
シルクロード経由で日本に到来したものであるといい、
現在は島津家に秘蔵されているというが、実は同様の話
は、『古代ユダヤ人と聖徳太子の秘密』(月海千鋒・著)
  という本にも載っていたことを思い出した(以下、要約)。  

・ユダヤの三種の神器は確かに日本にある。
・マニ宝珠はイスラエルから聖徳太子宛てに到来した。
 ・鹿児島の大名家・島津家が代々受け継いだ(証文あり)。
・これが真実なら、島津家が南朝側の天皇家を保護し、
 大政奉還で明治天皇を擁立したとの噂は信憑性が増す。
・島津家は聖徳太子の舎人だった藤原鎌足の子孫である。
・米のロックフェラー財団が5百億円で買い付けに来た。

ざっと該当する部分を読むと、語り部は言った。
「でも琉球の珠が、どうして島津家にあるのでしょうね?」
いや私に聞かれてもと返答に困り、頭をフル回転させる
と、ふと、ある思いつきが口から突いて出た。
「六甲山に隠された琉球の珠は、聖徳太子のものだった?」


語り部が「琉球の珠は隠された」と言ったのは、
私が初めて六甲比命神社に参拝した1年半前のことだ。
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聖徳太子は、
六甲山と瀬織津姫を擁護する信仰的立場にあったようだ。
生誕の地という奈良県明日香村の橘寺で祀られるのは
如意輪観音像だが、空海はその2世紀後、如意輪観音像を
自ら彫り甲山の神呪寺に秘仏として祀った。さらに思えば、
 そもそも、六甲比命神社を奥ノ院とする ↓ 多聞寺は役行者
こと役小角(えんのおづぬ)が、自らの子孫である四鬼家の
人を移住させ、六甲山修験道を管理させたと伝わっている。

役行者と空海は、聖徳太子の後継者のように思われる。
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さて、アカル姫の赤い珠が、なぜ琉球の宝珠なのか。 
そのミッシングリンクの名とは、私が聞き落としていた
阿毎多利思比孤(アメノタリシヒコ)だった。
『隋書』倭国伝には見えるが、日本書紀が隠したその
倭の男王とは、用明天皇か聖徳太子か蘇我馬子のいずれか?

語り部はその名を、あるときに口にしていたのだった。
「アメノタリシヒコのとき半島から琉球に人々が入った」と。

その名を「アメノタラシヒコクニ(天足彦国)」と、聞き
 間違えた私には、そのメッセージの意味が理解できなかった。



by utoutou | 2017-09-13 21:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2017-09-16 21:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2017-09-17 07:40
> こんばんは。さん
おはようございます。夏至の日に久高島、、今年でしたら、その21日は雨だったでしょうか。私が沖縄入りした22日に、ちょうど梅雨明けのニュースが流れていたので。行き違いでしたね。
琉球と六甲は深い関係があるし、その時代も相当に深いと思っています。南城市には「五色の龍」伝説があったり、巨人伝説があったり、ドルメンと思われる石積みも多かったりと、六甲山の磐座と同じ巨石文明の存在を感じさせます。
久高島在住の知人も、六甲へ旅した帰りに神戸空港で、御嶽に供えるお水やお神酒を購入したそうです。そういう気持ちになったと言っていました。
Commented at 2017-09-17 12:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2017-09-18 15:57
> こんばんは。さん
ウパーマで朝日、アカララキお参り、よかったですね!
百名のかどやさんの角は親慶原方面と新原玉城の往復でよく通るので、ウフグスクグスクの横に車を止めたりしていますし、ブログに書いたこともあります(英祖王出征の秘密 http://mintun.exblog.jp/d2014-01-22/ )が、巨人時代というのは初めてお聞きしました。情報ありがとうございます。またチヌヌミ世(角のある人の世)というと、どうしてもミントングスクに関係してきますので、百名というよりゴルフ場内の旧垣花地区ということになるのではと思いますが、次回は天ぷらを買い求めにお店にも寄らせていただきますね。
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