6月末、那覇に行っていたときのことだった。 着いたのが梅雨明けの日で、翌日は慰霊の日だった。 語り部とは、私が春に旅した因幡の「白兎とワニ」の神話 や ↓ 白兎神社や遺跡から出土したサメの線刻画の話をした。 そのときの話を元に、翌朝から、「アメノヒボコ」 が、書きたくても理解不能だったのが、きょうの話だ。 あのとき、語り部は、サメの線刻画や 古代船団の話の流れから、何かを霊視するかのように、 「アメノタラシヒコって誰ですか?」と、聞いた。 「アメノタラシヒコクニ…オシヒトノミコトですか?」 私は〈天足彦国〉 とメモしつつ、そう聞き返したが、 YESともNOとも言わず、語り部は無言のまま首を傾げた。 天足彦国押人命。日本書紀によれば、 孝昭天皇の子で和珥臣の祖。和珥(和邇)族は琉球にも 渡来したと考える我々の会話には、頻繁に上がる神名。 「ウサギとワニ」神話の主役・ワニとも同一視している。 ともかく、以下は語り部が一気に話した内容のメモ。 「アメノタラシヒコのときからワニの船団が大きくなった。 船の中央に、土偶で見るような立派な屋形船が見えます。 白兎はワニに騙されたのではなく、宇佐に来た一族です。 人々が半島からワニ船団で海を渡り、琉球にも入った。 その新しい皇子は、朝廷に養子に入って血を継いだ。 一族は、後に和邇氏と息長氏に別れることになります」 その中にアカル姫がいたらしいとも言った。そして… 「(久高島の太陽神の祭り ↓テーラーガーミで歌われる) ソウルから下たる赤椀・黒椀とは、琉球の玉のことです。 また、赤椀の世直しとは、赤い琥珀でできた宝珠のこと。 赤と黒ではなく、赤く黒く、太陽のように輝いている」 あのときまで長年の謎だった神歌のフレーズ 「ソウルから下たる赤椀の世直し」とは、赤い宝珠のこと だという発見に歓喜して、話の前半部分を分からないまま にしてしまったが、腑に落ちない気持ちは残っていた。 なぜならソウル(半島の主都)から渡来人が増えるのは 3世紀以降で、孝昭天皇の欠史八代という古代ではない。 そんな折、「聖徳太子とマニ宝珠」の話をきっかけに 自分の誤解というか、早合点にようやく気がついた。 アメノタラシヒコ(天足彦国押人命)のときではない。 アメノタリシヒコ(阿毎多利思比孤)のとき、 船団を組んだ人々が、宇佐や琉球に渡って来たのだ。 アメノタリシヒコ(阿毎多利思比孤)。 日本書紀には登場しないが、『隋書』倭国伝が記す倭王。 阿毎多利思比孤は、600年と607年に遺使(朝貢)した。 その大王を用明天皇(皇子は聖徳太子)とする説は強い。 あるいはアメノタリシヒコが聖徳太子なのかもしれない。 そう言えば、語り部は何度か言っていた。 「琉球の歴史には、聖徳太子が隠されています」と。 逆に琉球の歴史は、聖徳太子に隠されているのかも? 四天王寺(大阪市天王寺区)の小さな聖徳太子像。 (色々写り込んでいて見えにくいですが…)
by utoutou
| 2017-09-17 10:47
| 瀬織津姫
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