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六甲山と瀬織津姫 132 聖徳太子〈その2〉

6月末、那覇に行っていたときのことだった。
着いたのが梅雨明けの日で、翌日は慰霊の日だった。
語り部とは、私が春に旅した因幡の「白兎とワニ」の神話
や ↓ 白兎神社や遺跡から出土したサメの線刻画の話をした。
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そのときの話を元に、翌朝から、「アメノヒボコ
琉球の玉」「アカル姫の御嶽」と何本か記事を書いた
が、書きたくても理解不能だったのが、きょうの話だ。

あのとき、語り部は、サメの線刻画や
古代船団の話の流れから、何かを霊視するかのように、
「アメノタラシヒコって誰ですか?」と、聞いた。
「アメノタラシヒコクニ…オシヒトノミコトですか?」
私は〈天足彦国〉 とメモしつつ、そう聞き返したが、
YESともNOとも言わず、語り部は無言のまま首を傾げた。


天足彦国押人命。日本書紀によれば、
孝昭天皇の子で和珥臣の祖。和珥(和邇)族は琉球にも
 渡来したと考える我々の会話には、頻繁に上がる神名。
「ウサギとワニ」神話の主役・ワニとも同一視している。

ともかく、以下は語り部が一気に話した内容のメモ。


「アメノタラシヒコのときからワニの船団が大きくなった。
 船の中央に、土偶で見るような立派な屋形船が見えます。
白兎はワニに騙されたのではなく、宇佐に来た一族です。
人々が半島からワニ船団で海を渡り、琉球にも入った。
その新しい皇子は、朝廷に養子に入って血を継いだ。
一族は、後に和邇氏と息長氏に別れることになります」


その中にアカル姫がいたらしいとも言った。そして…
「(久高島の太陽神の祭り ↓テーラーガーミで歌われる)
ソウルから下たる赤椀・黒椀とは、琉球の玉のことです。
また、赤椀の世直しとは、赤い琥珀でできた宝珠のこと。
赤と黒ではなく、赤く黒く、太陽のように輝いている」
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あのときまで長年の謎だった神歌のフレーズ
「ソウルから下たる赤椀の世直し」とは、赤い宝珠のこと
だという発見に歓喜して、話の前半部分を分からないまま
にしてしまったが、腑に落ちない気持ちは残っていた。

 なぜならソウル(半島の主都)から渡来人が増えるのは
3世紀以降で、孝昭天皇の欠史八代という古代ではない。

そんな折、「聖徳太子とマニ宝珠」の話をきっかけに
自分の誤解というか、早合点にようやく気がついた。

アメノタラシヒコ(天足彦国押人命)のときではない。
アメノタリシヒコ(阿毎多利思比孤)のとき、
船団を組んだ人々が、宇佐や琉球に渡って来たのだ。


アメノタリシヒコ(阿毎多利思比孤)。
日本書紀には登場しないが、『隋書』倭国伝が記す倭王。
阿毎多利思比孤は、600年と607年に遺使(朝貢)した。
その大王を用明天皇(皇子は聖徳太子)とする説は強い。
あるいはアメノタリシヒコが聖徳太子なのかもしれない。


そう言えば、語り部は何度か言っていた。
「琉球の歴史には、聖徳太子が隠されています」と。
逆に琉球の歴史は、聖徳太子に隠されているのかも?



四天王寺(大阪市天王寺区)の小さな聖徳太子像。
(色々写り込んでいて見えにくいですが…)
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by utoutou | 2017-09-17 10:47 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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