10/13(金)夜、NHK『歴史秘話ヒストリア』で放送 の『聖徳太子の棺 伝説のその先へ』を偶然観て驚いた。 数日前に訪れた叡福寺(大阪府南河内郡太子町)を映す VTRに井上あさひアナがいた。(↓テレビ画面を撮影) 私が訪れた日の叡福寺(聖徳皇太子磯長御廟)。 晴天だったが、町の循環バスから降り立ったのは唯一人。 叡福寺境内から石段を登り、二天門を通ると太子廟がある。 宮内庁による案内板(推古天皇皇太子聖徳太子 磯長墓)も。 左に菊紋、手前に賽銭箱とお香立て。お線香は200円だった。 御廟正面の扉から10m石段を上がると横穴式石室とか。 一番奥に見えるのは、母・穴穂部間人皇后の石棺、 前列左には妃の膳大郎女を、右に聖徳太子の棺を安置。 太子と妃の棺は絹を貼合した乾漆で作られたが、制作には 1年かかかったので、「太子は2度葬られた」ことになる。 その謎解きを、猪熊兼勝氏が語っておられた。 没後、太子を見直す動きが生まれ、棺は作られたのだと。 その後も蘇我入鹿暗殺に始まる大化の改新、そして 壬申の乱と混乱は続き、多くの人命が失われたとき、 「聖徳太子」の名が生まれ、国を再生するシンボルとなったと。 棺の材質である乾漆は最高級の絹だったという。いっぽう 斉明天皇と藤原鎌足のは麻製で、その違いが太子信仰を 物語っている…など、まさに秘話満載のヒストリアだった。 ところで、太子妃4人のうち この膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)だけが、なぜ こうして太子と母との三骨で同葬されることになったのか? 再生のシンボルなら、太子だけのほうが相応しいのでは? 番組を観終えて、そんな素朴な疑問が湧いたとき、 思い至ったのは「磯長(しなが)の里」という地名だ。 また、龍田大社(奈良県生駒郡)の祭神・志那都比古神 志那都比命の「志那」も、「息が長い」との意味という。 風神や「息が長い」神徳から連想されるのは古代産鉄だ。 「聖徳太子」には、息長氏が隠れているのではないか。 さらに息長氏には、沖縄が隠されているかもしれない。 「息長と沖縄は同義」とする説があり、発音も似ている。
by utoutou
| 2017-10-16 15:46
| 瀬織津姫
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