六甲山と瀬織津姫 143 下照姫はアカル姫?

玉造稲荷神社境内にある難波玉造資料館。
創祀2千年記念事業として、'86年に開館したという。

境内の北東に位置している家形埴輪を模した建物がそれ。
豊臣の時代には大阪城城内だったため秀頼像も近くに。
上古から戦国へ、時空が幾重にも織り込まれている。
a0300530_07342556.jpg




禰宜さんが恭しく開錠してくれた資料館は、
こじんまりした空間に玉作りに関する資料が満載。
a0300530_13201322.jpg




曲玉作りの工程や工具や、瑪瑙など原石も漏れなく展示。
a0300530_14371776.jpg




【難波・玉作(造)】についての解説(要約)。
☆ 古代より玉作岡と呼ばれたこの神社一帯には、
古墳時代中期に玉類を製造加工する玉作り集団がいた。
☆ 付近の森ノ宮遺跡には約4500年前から人がいた。
☆境内からは、昭和17年(1942)、大阪府警察
・消防部(現・大阪府消防局)による防火水槽建設工事中
に土器片と貝殻類に混ざって、中国古代銭が出土した。
☆ 古来、中国大陸や朝鮮(韓)半島の人物交流用地
として重要な位置を占めていたと考えられる。
a0300530_13202926.jpg





こちら韓国国宝・天馬塚金冠(5〜6世紀、古新羅時代、
慶州博物館)のレプリカ。58個付いている硬玉(翡翠)
は、新潟県糸魚川地方で産出された原石という。
a0300530_13205599.jpg




【玉作蓮・玉作部】についての解説(要約)。
☆ 古代社会において玉祖連(むらじ、別名…玉作連)
   に総轄され、玉造りを専業とした部民のこと。
☆ 記紀の神代巻には、玉祖命(たまおやのみこと)が
初めて玉を作られたとあるが、その伝統的技術は縄文
時代中期にまで遡り、古墳時代に定型化し盛行した。
☆ このように古い伝統を持つ各地の集団は、4世紀頃
の大和朝廷の伸長に伴い、再編成された多くの手工業
集団の一つとして成立。7世紀に至り、氏姓制度の
崩壊と共に、一部は律令制下に組み入れられた。
☆ 各地に玉造の地名と、玉祖(玉造)神社[祭神
…玉祖命、別名 櫛明玉、豊玉明、天太玉、天明玉、
羽明玉〕があり、そこが氏族の本拠地と考えられる。


玉造の玉作り関連の遺物には ↓「三輪玉」がある。
地図下の○印が玉造稲荷神社、出土地は森ノ宮遺跡周辺。
三輪玉とは、奈良・大神神社の祭祀遺跡から出土した
古墳時代中期以降のもので、大刀の柄に付ける装飾品。
a0300530_13210956.jpg




などなど資料館では勾玉や考古の世界を堪能したが、
神社祭祀に関する資料が少なかったのが残念だった。

他でもない、祭神の下照姫命のことである。
下照姫命は、同じ難波にある比売許曽神社の主祭神
でもあるが、社名通りに比売許曽神にも比定される。

その比売許曽神は、『日本書紀』では、
大加羅国の王子・都怒我阿羅斯等が追いかけたが
日本に帰って来た童女・阿加流比売神(以下アカル姫)。
『古事記』では、夫から離れて帰国した天之日矛の妻。

つまり、下照姫=比売許曽神=アカル姫?
下照姫がアカル姫と同神とすれば、何やら事は重大。

日の出の太陽を表す赤い瑠璃の玉の化身・アカル姫
は、沖縄久高島のアカララキにも祀られる女神だと、
我々は見立ててきたのだったし、いっぽう、玉造に
元四天王寺を建てた聖徳太子は「日の出る処の天子」。

アカル姫、アカララキ、聖徳太子。
赤い玉(太陽)というキーワードを持つ3つの点は、
やがて1本の線として繋がっていくように感じられる…。


ところで、一昨日10月5日(日)↓難波京跡公園で、
古代日本と朝鮮半島の交流を再現する祭り四天王寺ワッソ
が催され、アンミカさん扮する聖徳太子と、大桃美代子
 さんが扮するアカル姫らの一行がパレードしたという。
a0300530_13214656.jpg

by utoutou | 2017-11-07 13:50 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mintun.exblog.jp/tb/237957508
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 六甲山と瀬織津姫 105 天穂... 六甲山と瀬織津姫 142 玉造... >>