六甲山と瀬織津姫 146 琵琶湖の比売神

アカル姫(ヒメコソ神)を祀る人々は琵琶湖へ、
そして信州へ「逃げたと思う」と語り部は言ったが、
むしろ古代海人族の信仰に従って、「移住した」のではないか。
前回ブログから1週間、私はそう考えるようになった。

天之日矛の元から逃げ帰ったヒメコソ神。その祖神を
探すと、御上(みかみ)神社(滋賀県野洲市)に行き着く。
「御上の祝(はふり)」と呼ばれた祠官家に残る系図に、
天照大神の孫とされる天御影神の妹・息長大姫大目命が
いて、亦名が比賣許曽神である(※『百家系図』等)。

天御影神。
日前神宮・国懸命神宮の祭神でもあるその神を、
語り部は「スサノオの魂を継ぐ太陽神」と解いた。
「御影」は太陽の「陰」でなく、「コピー」と同義だと。

その太陽神・天御影神の異名は、
天目一箇神(あめのまひとつの神)、明立天御影神など。
「ひとつ目」が示す通り、忌火の神、鍛冶の神でもある。
思えば、琵琶湖周辺は上古からの一大産鉄地だった。

天御陰神の妹・息長大姫は、タタラ製鉄に必要不可欠な
火と水と風を司り、兄を霊的に守護する「おなり神」
だったのだろう。(※おなり信仰についてはこちらにも)
豊玉姫がそうだったように、おなり神は、たとえ子を生み
母となっても、兄の守護神として里に戻る宿命を背負う。

同時に、アカル神を祀る一族も移住したのではないか…。
その後、新しい鉱脈を求めて、琵琶湖〜信州へ向かった
とも考えられないだろうか。
難波から淀川と京都の桂川を遡れば、琵琶湖の南岸に着く。



琵琶湖と言えば、日牟礼八幡宮へ初めて参ったのは2年前
のことだったが、あのときの「謎」が解けそうな気がする。
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本殿の横に小祠があった。「天岩戸神社」との説明板があり、
瀬織津姫が祀られていると記されていた。
〜祭神 撞賢木厳御魂 天疎向津姫命
往年 近江の人は毎年伊勢神宮に参詣した。それが
できない年はこの大神に代参した。真の御柱といって
神殿の柱を祭神とする伊勢信仰が生まれている 〜
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大神とは、まごうことなき近江の地主神である。
が、「真の御柱」の意味が、あのときは理解できなかった。
その言葉を、改めてかみしめてみる…。

伊勢神宮の内・外宮の正殿の床下にある「真(心)御柱」
は、神殿ができる以前の時代の御神体だったわけだが、
伊勢も、この近江も、古代タタラ製鉄の舞台である。


つまり、シャーマンが心御柱(=撞賢木厳御魂)に迎える
べきは、日の神、火の神、水の神、そして風の神だった。
風の神を思うと、本殿裏に立ちはだかる屏風岩が甦る。
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ほとんど垂直に立ち上がるあの巨大な屏風岩は、
「風を防ぐ」というより、「風を呼ぶ」装置ではないか?
天御影神が太陽神だったように、屏風岩を神籬に見立て、
天疎向津姫(瀬織津姫)は鍛冶の無事を祈ったのだろう。
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さて、ひょんなところから天御影神と琵琶湖の比売神
(ヒメコソ神、アカル姫)の関係を思う結果になった
が、語り部はこんなことを言った。
「その比売神は、やはり久高島のアカララキに祀られる神でしょう」
「では、天御影神も琉球から?」
「そういうことになりますね」






by utoutou | 2017-11-27 15:04 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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