六甲山と瀬織津姫 151 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊〈3〉

琉球のセーナナー(海人七氏族)はイカルガへ行った」
語り部の言うことはいつも唐突だが、今回もまた…。

イカルガとは聖徳太子が法隆寺を創建した奈良の
「斑鳩の里」のことか、磐船神社の鎮座する哮ヶ峯なのか。
哮ヶ峯は「たけるがみね」と「いかるがみね」二通りの
読み方があるが、その理由は不明のようで謎めいている。


磐船神社(大阪府交野市私市)社務所の遠景。
社殿がないためか、社務所はどこか旅籠屋ふう。
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磐船神社の岩窟巡りを終え天の岩戸に出ると、
そこから先が哮ヶ峯(いかるがみね?)へ登る山道。
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磐船稲荷稲荷大明神。花崗岩地質のここは産鉄地か。
肩野物部の人々は、水田耕作を営んだという。
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さて、セーナナーについての口伝を、少しおさらい。
セーナナーとは、上古、沖縄本島の東に浮かぶ伊計島、
あるいはそこに連なる島々に住み、やがて船団を組んで
 ヤマトへと上ったと伝承される、「聖なる海人七氏族」。

沖縄本島東方に南北に浮かぶ久高島から伊計島までの
七島(北斗七星に例えられた)にいたと伝わることから
 そう呼ばれたが、明確に「七氏族」というよりも、整数の
  「七」を冠して「何部族かの海人たち」といった意味という。

それにしてもセーナナーが饒速日尊の船団であるらしい
 とは…少なからず驚くと同時に、なるほどなあと思う。 

「饒速日尊は久高島にいた」という神女おばあの口伝
(記事はこちら)を思い出しても、さもありなんと…。

また、久高島第一の祭祀場・外間殿に置かれた
いわゆる御賽銭箱「百甕(むむはめー)」について、
語り部が言ったこと(記事はこちら)も紐解けてくる。

「百甕とは、甕の字のついたヒコと、
百の字のついたヒメ、その一対神のことだと思う」と、
語ったその2柱の神とは、ヤマトの三輪山に住まう蛇神
・大物主神と、その妻・倭迹々日百襲姫命が当てはまる。
すると、琉球は大物主神の原郷ということになるか。

大物主神とは饒速日命のことだと、大神神社に参拝
の後に書いていたが(記事はこちら)、その亦名は
倭大物主櫛甕玉(やまとおおものぬしくしみかたま)命。
「甕」の一字が含まれている。

あるいは、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命。
その神名は『出雲国造神賀詞』にのみ見えているが、
やはり「甕」の一字が含まれている。


新たなる課題「セーナナーはイカルガへ行った」。
この秋に大阪・難波のあべのハルカスの16階(庭園)
から撮影した生駒山地の↓遠景写真を改めて見る。

生駒山は中央の山頂、その北麓(左)に磐座神社が鎮座。
いっぽう斑鳩の里は南(右方向)に位置。その距離18㎞。
どちらかに、あるいは両方にセーナナーの痕跡があるらしい。
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by utoutou | 2017-12-23 13:00 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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