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六甲山と瀬織津姫 101 サムハラ神社

大阪へ出張して時間があったので、宿泊するホテルの近く
を散歩して知った、サムハラ神社(大阪市西区立売堀)。
まったく知らなかった。しかも、なぜ社名がカタカナ…?
と、看板を見上げて、しばし立ち止まっていると、
参詣客が次々と私を追い越して鳥居の中へと進んでいく。
どうも、最近人気のパワースポットらしい。
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古い石の社号標があった。初めて見る難解な漢字だが、
境内を具るり取り巻く多数の奉納提灯が人気を物語る?
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境内はさほど広くないが、社殿の奥行きはありそうだ。
拝殿左に創祀者・田中富三郎翁の銅像がひっそりと立つ。
日清日露戦争に御用商人として従軍、生還したことから、
昭和9年、岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂)に
あった「サムハラ様」の古祠を再建。これを奥の院として、
戦後、大阪に自費でサムハラ神社を創建したという。
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社務所でご由緒を頂戴して、とても驚いた。
祭神の「サムハラ様」とは造化三神のことという。前回、
「造化三神」の名が出たところで、今その神々に出会うとは。

ご由緒には、次のようにあった。以下要約。

☆サムハラ(漢字で表記)の意味は、天御中主神、
高皇巣日大神、神産巣日大神の三神の総称。
☆全ての神様の親神様で、人類根源の大祖先であり、
全知全能の創造主としての神格を有せられる神様。
☆無病息災・延命長寿の御神徳があり、守護くださる。



ということで、
霊験あらたかなお守りの人気も高いらしく、
その問い合わせで、社務所の電話が立て続けに鳴っている。
特に指輪型の御守りが人気で、「県外から来た」と言う人も。
社務所のドアや境内には、「品切れ」を告げる表示があった。
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それにしても、造化三神との偶然の出会い。
これは何かのメッセージかと思い、語り部に電話して、
事と次第を告げると、今度は語り部が少し驚いている。

曰く、知り合いの人が岡山の神社に行くと聞いたとき、
「サムハラ神社へも」との言葉が語り部の口を突いて出たと。
いわゆるシンクロ二シティー現象が起きている?

また、語り部は言った。
「岡山のサムハラ神社を北へ進むと何がありますか?」
そんなことは大阪のサムハラ神社すら知らなかった
私には分からないが、電話を一旦切って地図検索すると、
日本海に突き出た「長尾鼻」という岬に行き当たるようだ。

それを告げると、語り部は言った。
「そこは弥生時代、海路が行き交う要衝の地でしたね」
「まさか、そこに琉球から移った古代人がいたとか?」
「そうかもしれませんね」

掘るべき歴史の底が、見ている間に深くなっていく…笑。







by utoutou | 2017-04-16 21:02 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)
Commented by at 2017-04-17 19:53 x
utoutoさん、こんにちは!ご無沙汰してます(>∀<●)ノ岡山のサムハラ神社の北ですか、語り部さん…。不思議ですねー。北に2キロぐらい行ったところに寶蔵寺(ほうぞうじ)というお寺があって、私の祖父の父方がそこの檀家です…。前にお話した、菅原道真の子孫だと言い張っていたあの祖父です。美作菅家。地名も加茂町ですから意味深ですよね(●≧艸≦)サムハラ神社 奥宮が岡山にあるのは知ってたのですが、そんな山奥まで行くことは人生ではないだろうと思い、縁のない神社だと思ってたのですが、昨年旅の途中で鳥取の祖父の母方に初めて挨拶に行き、そこで祖父の父方が岡山の加茂町だと聞き、なぜかそこに行かなきゃいけないような気がしてしまい、車走らせて加茂町役場までやってきてナビみたらすぐそばにサムハラ神社があることにビックリしたことを思い出します(笑)そして私が岡山の加茂町を目指してることを聞きつけた叔父が電話してきて、「とにかく寶蔵寺にいけ、そしたら先祖の墓に案内してくれる」と言うので行ってみたら先祖の墓だけでなく、そのあたりの祖父と同じ名字の人達に色々と昔の話を聞けて不思議な体験しました(笑)すみません、どーでもいい話を…。ついサムハラ神社の北と聞いて書いてしまいました(;¬∀¬)ちなみに寶蔵寺行った後は日が暮れるまで色々な人のお話を聞いていたのでサムハラ神社にはいけませんでした(笑)これオチです。+゚(*ノ∀`*)。+゚
Commented by utoutou at 2017-04-18 13:43
寅さん
なんと、ご先祖は美作でしたか! 美作は非常に重要な場所のようですね。美作菅家がなぜ美作にいたのでしょうね。美作の在だから名乗ったのでしょうけれど、古代、さらにそのご先祖がいたとか、日本海側から川を遡ると美作へ着く地形になっていて必然だったとか…ではないしょうか? 
出雲との関係も気になりますよね。私もぜひ行ってみたいと思います。サムハラ神社の奥の院へ。
そう言えば、美作には、加茂ばかりか久米という地名もありますね。久米は、鉱山関係でも繋がっている感じがします。沖縄の久米島では銅が出たと言われていますし、美作は鉱山が多いですよね。那覇市の久米には天神様をお祀りするお宅があるそうですね。やはり、「土師氏」は要所要所で現れて、行く道を示してくれますね。そして、当ブログには寅さんが現れてくれます(^^) ありがとうございます。
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