六甲山と瀬織津姫 102 サムハラの霊験

サムハラは常用漢字にはなく、PCフォントにもない。
神字と呼ばれるらしいが、その起源は戦国時代らしい。
社務所で聞くと、「元々武士が懐に入れていた」という。

サムハラ神社の奥の院がある岡山県津山市加茂町
(駅名は美作加茂)にあった落合城に、サムハラと神字が
刻まれた石碑があり、武士が紙などに写して身に付けて
いたという話が、津山瓦版に載っている。



↓こちらの四文字は、
社務所横にあるサムハラ之宮合気道塾のHPから拝借。
合気道の開祖・植芝盛平は、
       サムハラ龍王が降臨したと唱え信奉していたようだ。        
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サムハラ神社を創建したのは、美作(みまさか)出身の
実業家・田中富三郎氏(明治元年生まれ)。
上阪して田中大元堂を設立、万年筆を普及して事業に成功。
私財を投じて、この本社と奥の院を創祀した。神社庁に
は属さない宗教法人で、本社の名称はサムハラ神社護符所。
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「不思議の四文字 身を護る」という御守り。
中には四文字の赤いお札と、造化三神の神名のお札。
そこには「無傷安全・無病息災・延命長寿」とある。
社務所で求めるとき「1個でいいんですか?」と聞かれたが、
確かに1個だけの人は他にいなかった。おみくじは一発大吉。
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参拝後、「不思議の四文字」のお守りをバッグに入れて
境内を散策していると、さっそく不思議なことが起きた。
スマホで撮った本殿屋根の千木の上に、珍しく鳥が写っている。
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「鳥を撮った」と語り部に伝えたわけではなかったが、
サムハラ神社の話をしているうち、「鳥取」の地名が出た。
なんという予兆か霊験か。それとも、ただの語呂合わせか。

前々回の記事「宝珠は龍より出る」では造化三神
(天御中主神・国皇産霊神・神皇産霊神)に触れたが、
すぐに、三神を祀る神社を知った偶然を言ったまでだった。

ところが、語り部は言った。
「サムハラ神社の北はどこになりますか? 鳥取ですか?」
いったん電話を切り、地図を調べて言った。
「サムハラ神社の奥の院のある美作から一直線に北へ
行くと、日本海に飛び出た長尾鼻という岬。鳥取市です」
「そこに、古代の集落はありませんでしたか?」
「いや、ちょっとそれは、調べておきますね。まさか…」

その後は絶句した。まさか、私は鳥取へ行くことになる…?

しかし、調べると、それもまた必然なのかと思えてきた。
サムハラの歴史は、戦国時代や美作の地にとどまらない
もっと広遠な時空を背後に秘めているようだった。

例えば、
平安末期の武将の位牌に四文字が綴られていたとか、
中国の新王朝(8〜23年)の厭勝銭(護符)のひとつに、
サムハラ銭があったとか、孔子の弟子の會子が
死に際(BC505)にサムハラに祈ったとか、故事がある。

そもそもサムハラの由来はサンスクリット語の
「三跋羅(サンバラ)」で、意味は抑制・防止・律儀という。
そこから、「難を逃れる」「九死に一生を得る」「弾除け」
などの神徳が流布されて、崇められるようになったらしい。

サンバラは、大随求菩薩(だいずいくぼさつ)の真言にもある。
〜オン バラ バラ サンバラ サンバラ インドリヤビジュダネ
ウン ウン ロロ サレイ ソワカ 〜

大随求菩薩とは、「多くの真言護符の所持者」であり、
観音菩薩の化身だそうだが、とにかくサンスクリット語が
語源ならば、サムハラはインドが由来ということになる。

「出雲神族はインドから来たんでしたよね?」
後日、私が言うと、語り部も言った。
「出雲神族はインドから大陸北部のシベリアを通ってこの
列島に来たと伝わりますが、インドから南の海路を通って
来たり、朝鮮半島を通って来た渡来人もいると思います。
その中に、琉球から北上して鳥取(因幡)へ、そして丹後へと
流れた民もいて、サンパラのマントラを運んだのではないか」




ともあれ、今週末、大阪のサムハラ神社では春祭りがある。
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by utoutou | 2017-04-19 21:17 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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