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六甲山と瀬織津姫 103 サムハラ神社・奥の院

サムハラ神社・奥の院(岡山県津山市加茂町)に参拝。
「呼ばれた人しか辿り着けない神社」と何かで読んだが、
JR因美線の美作加茂駅で降車してタクシーに乗り、
運転手さんに聞いてみると、やはりそういう傾向らしい。
「ええ、お客さんは皆さんそうおっしゃいますよ。
呼ばれた…とか、呼ばれた人しか来られない神社…とか」

平日も少なくとも数組は参拝に訪れるらしく、大阪や東京
から、北海道や九州といった遠方からもと、人気は全国区。

この山あいの町に、にわかにブームが到来している模様だ。
運転手さん曰く、去年あたりから参詣客が増えてきたと。
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その多くは、岡山からJRか車で訪れるらしいが、
 私の場合は、鳥取からJR因美線で美作加茂へと移動した。
(鳥取での神社巡りレポートは後日また…)
日本海側の鳥取から1時間半、電車は川に沿って南下した。
鳥取から智頭(ちず、鳥取県)までは日本海に注ぐ千代川に、
峠のトンネルを越えると、今度は瀬戸内海に注ぐ加茂川に。

他に乗客のいない各駅停車の車内から、田園風景を
眺めていたが、智頭から川の流れる方向が反対になった。

実はその2本の河川は、古代、砂鉄の採掘地だった。
ここ加茂町(村)は、古代産鉄の盛んな土地だったようだ。
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賽銭箱の神社紋は、大阪のサムハラ神社でも見た。
「百」を上下に抱き合わせた形は、ここへ来て、創祀者の
田中富三郎翁が加茂村の百々(どうど)出身ゆえと知った。
百々という珍しい地名は、どのような由来なのだろうか。
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さて、
サムハラ神社・奥の院は金刀比羅神社の境内に鎮座する。
↓ こちらは、「奥の院」の参道から見た金刀比羅神社。
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金比羅神社にいる間は、下から度々突風が吹き上がり、
金比羅神社の幟が、激しく踊っているかのように揺れた。
ここでは古代、たたら炉による製鉄が行われていたかと思う。
たたら製鉄には、一にも二にも強風が必要だったという。
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金刀比羅神社の摂社には、やはり稲荷神社があった。
産鉄の地に稲荷神社が祀られているのは各地で見た。
摂社には荒神社もある。竃の神、地神、山の神である。
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サムハラ神社が古代琉球と関わっていると、語り部が
言ったのは、この地が産鉄地だったことと無縁ではない
のだろうと思う。鳥取市内でも、美作加茂への道筋でも、
点々とした「土師(はじ)」という地名がそう思わせた。

鳥取市には、土師氏ゆかりの天穂日命神社も鎮座する。
天穂日命が久高島と縁の深い神であることは、何度か書いた。
そして、もちろん、天穂日命の磐座がある六甲山とも…。









by utoutou | 2017-04-25 12:06 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)
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