大国主命妃となった八上姫を祀る売沼(めぬま)神社 (鳥取市河原町曳田)に、謎めいたことが二つあった。 まず、その呼称。社頭の由緒書きにもあったように、 中世まで、「西日天王(にしびのてんのう)」と呼ばれた というが、詳しいことは明らかになっていない。 もうひとつの謎というか、その余韻が長引いたのは、 曳田川の土手ぎりぎりの場所に鎮座するこちらの摂社。 赤く塗られていたらしいので稲荷神社か。はたまた、 曳田川は古来、頻繁に起こる水害で暴れ川と恐れられた 千代川の支流だけに、川の氾濫をなだめる治水の女神か。 あるいは、この小祠から遥拝する聖地があるのだろうか。 天照大神を猿田彦が道案内したという神話が残る 霊石山は、八上姫と同じく往古の八上郡(やがみのこおり) の象徴として、土地の人々の崇敬を受けていたのだろう。 売沼神社から3㎞北に立つ河原城(別名・若鮎城)は、 千代川を挟んだ西、鳥取市河原町に平成6年に「築城」された。 ふるさと創世事業によって、町の情報発信の拠点として完成。 元々は、豊臣秀吉が因幡平定の際に陣を築いた場所という。 河原城(全高24m)の天守閣から見る霊石山 と、その南麓に広がる八上郡(現・八頭郡八頭町)。私は 登城の余裕なく、写真は鳥取市公式ウェブサイトより拝借。 霊石山に連なる中山の展望台から八頭郡の平野を見下ろす。 写真には写らないが、立ち位置の右方向に霊石山、河原城。 白い平野部分が古代の因幡国の中心・八頭郡八頭町。 「白兎伝説の里 八頭町 ゆかりの地」が図示されている。 白兎伝説ゆかりの地は白兎海岸だけではなかったらしい。 Googleの航空写真に、 「白兎伝説ゆかりの地」の主だった寺社を記してみると、 霊石山一帯の山麓(写真下部)に集中しているのが分かる。 赤いピンを置いたのが霊石山(現・鳥取市)。 その右下の黄丸が中山展望台(八頭町)。 左下のピンク丸が河原城。 赤丸が、右から成田山青龍寺、池田神社。上下にふたつある のが、土師百井廃寺跡、土師百井神社。左が売沼神社。 日本海岸沿いの赤丸が有名な白兎神社。右端が鳥取砂丘。 ちなみに青丸は、万代寺遺跡(八頭郡八頭町万代寺)。 八上郡に点在する「白兎伝説ゆかりの地」を繋げると、 「夏至・冬至ライン」になると発見したのは、大江幸久氏。 その著書『天照大神・瀬織津姫の因幡行幸--ホツマで解く 八上姫・白兎神話の真相』では、そればかりか、鳥取県を 瀬織津姫を祀る神社が「密度では全国一」とも記している。 (実数での最多は岩手県、2番目は静岡県という) 語り部が先日言ったように白兎明神が猿田彦神ならば、 伊勢・伊雑宮の奥宮・天岩戸に併祀されていたように、 瀬織津姫が、この地にも祀られているのは不思議ではない。 さて、上の航空写真地図に青丸で記した万代寺遺跡 (八上郡の古代役所跡)や、土師百井廃寺跡のある 旧・八上郡土師郷を「八上姫の郷」と指摘したのは石破洋氏。 著書『イナバノシロウサギの総合研究』で、概略こう記した。 〜(因幡の中央に住んだ)白兎は因幡の国の神であった。 因幡国を代表する八上姫も同じ所に住んでいたと考える のが、神話的な思想であろう〜 すると、その因幡の中心地から見て、売沼神社は 冬至の太陽が沈む方向。まさに「西日大王」に相応しい。 古の沖縄では、朝日を東大主(あがり・うふぬし)、 沈む夕陽を西大主(いり・ぬ・うふぬし)として崇めた。 八上郡には琉球に似た太陽(朝日夕陽)信仰が感じられる。
by utoutou
| 2017-05-18 15:20
| 瀬織津姫
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Comments(1)
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at 2017-05-20 07:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by utoutou カテゴリ
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