内陸にもあった、「白兎神話ゆかりの里」。 古来、村々の鎮守として白兎大明神を祀り、崇め、 古墳の数も因幡随一。その中心だったと言われる土師郷は、 現在の八頭郡八頭町にあたるが、そのまさに霊石山山麓に 流れているのが、千代川の支流・私都川(きさいちがわ)。 この川の流域が八上姫の里だとの説があるいっぽう、 瀬織津姫を祀る神社も多く、なんと4社に祀られている。 (旧八上郡へ範囲を広げると、16社になる) その理由は不明だが、もしや白兎大明神にあるのではないか。 「白兎大明神は猿田彦」という語り部の仮説が正しければ、 その太陽神・猿田彦の一対神とは、瀬織津姫という名の月神。 伊勢・伊雑宮の奥宮には、猿田彦神(伊勢大神、天照大神) と瀬織津姫(罔象女神、泣沢女神)が、一対神として 秘祭されていたものだった(記事はこちら → ★ )。 ともあれ、ここ因幡は、朝廷に「まつろわぬ民」の土地 だったのは確かだ。伊雑宮の鎮座する志摩・磯部しかり、 因幡にも、天照大神という記紀によってつくられた皇祖神 を、決して受け入れなかった琉球民族と同じ匂いを感じる。 新たに知った「白兎神話ゆかりの里」はさておき… 『古事記』によって知られる白兎神話の伝承地、 いわば、本家本元の白兎神社(鳥取市白兎)へも参詣した。 出雲大社を思わせる注連縄には、「立派〜」の一言。 国道9号線沿いの駐車場に車を置き、神社までわずか数分。 鳥居からゆるい上り坂となる参道で振り返ると、水平線が。 白兎伝承地のハイライトは、こちら淤岐ノ島(おきのしま)。 白兎海岸の沖合150mに浮かぶ小島から、兎はワニの背中を 踏み、対岸の「気多ヶ崎(けたのさき)」まで渡ったとされる。 島の上には鳥居が立っている。また遠目からは分からなかったが、 ワニに見立てられた岩礁は、いまも点々と連って見えるという。 淤岐ノ島ばかりでなく、 周辺には白兎伝説の場面ごとの伝承地があって楽しめる。 神社の内外には、素裸の兎が体を洗った「不像不滅の池」が、 兎が泣いていた「高尾山」、兎が体を干した「身干山」がある。 ところが、この白兎神話伝承地の歴史は、 江戸時代より遡ることはないと、前出の石破洋教授は、 著書『イナバノシロウサギの総合研究』で述べている。 大国主命が八十神と共に八上姫に求婚する旅に出て、 兎と出会う場面は、必ずしも必要ではなかったのだと。 もし白兎の場面が挿入されるとしても、その海岸は出雲 でも因幡でもよく、淤岐ノ島の名も古代にはなかったと。 では、白兎神話はどのように生まれたのか? (以下は石破氏の著書より引用) (兎とワニの)〜場面は南方系の渡来説話が『古事記』 の作者に利用されて挿入されたものと思ってよい。〜 そういう考え方もあるのかと、目からウロコが落ちた。 確かに、小動物がワニに騙される神話は、東南アジア各地 に残ると言われるが、それが「渡来した」と推理するならば、 いきおい海人族の渡来をリアルに想定することができる。 神話は、ひとりで海を渡ることはできないのだから。 実は、白兎海岸から東方を見ると、但馬(兵庫県)の岬 まで見通すことができ、その距離の近さに驚いていた。 また、神社の駐車場には、こんな立看板があった。 怪しい車、人、船への注意を観光客に喚起している。 いかにも怪しいイラストに、かの半島からの海流を思う。 何日か前、語り部は言った。 「近くの海岸に、大きく突き出た岬はありませんか?」 「そこが、本当の白兎神話の伝承地とか…?」 「南方から上がってきたらしい古代の船団が見えますね」
by utoutou
| 2017-05-23 11:15
| 瀬織津姫
|
Trackback
|
Comments(0)
|
by utoutou カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||