2015年 07月 16日 ( 1 )

ヤマトタケル ㉖ 沖縄の鍛冶神 〜 久高島・外間殿

沖縄半島西海岸の恩納村に泊まったので、
1時間あまり北へ車を走らせ、国頭郡の
奥間(おくま)村へ行ったのは2ヶ月前。

関東や関西でヤマトタケル神話の伝承地
(=古代産鉄地)を訪ねていたので、
沖縄でも…と思った。
県内に古代産鉄地と伝わる土地はないが、
「御先(うさち)カニマン」の言葉はある。
御先は上古、カニマンとは鍛冶屋のことだ。

「そう呼ばれる御嶽がある以上、
上古の時代にもカニマンはいたと思っています」
と、語り部は言う。

ともあれ、奥間村は「カニマン」と呼ばれる。
第二尚氏王朝の初代王・尚円が、
まだ金丸と名乗っていた時代、
故郷の伊是名島を追われて身を寄せた先は、
奥間鍛冶屋(うくまかんじゃー)のインキツ屋。
その屋敷跡が、現在の金満神社だという。


そんなわけで、奥間村に向かったが、
レンタカーとの相性が悪かったらしく、
奥間村のなかで道に迷ってしまった。
ちょうど梅雨入りで、
突然のスコールにも見舞われた。
目指すインキツ屋に着けずに諦めかけ、
奥間公民館の裏山の御嶽から帰ろうとしたとき、
公民館の外壁が、目に飛び込んできた。


鍵と万…カニマン。公民館に堂々と。
「王を生んだ鍛冶屋の村」の伝統を垣間見た思い…。
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この奥間鍛冶屋は、久高島とも縁が深い。
久高島の根家・外間家では、
鍛冶神・カニマンガナシーを司る神職が、
奥間鍛冶屋に定期的に参拝していたという。

以下、比嘉康雄著『神々の原郷 久高島』より引用。

〜ハニマンガナシー
ハ二とは鉄の意で、この神は
フーチガッタイ(ふいご)をシンボルにする
鍛冶屋の神と言われている。
…ほとんどのシマレベルの祭りに
白衣で参列する。十一月には独自に
フーチガミのお願をする。三年に一度、
国頭郡奥間の「ウクマカンジャー」に参拝する。〜



鍛冶神・ハニマンガナシーが祀られている
久高島第一の祭祀場・外間殿。
正月をはじめとして年中行事が行われる。
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外間殿の神壇。香炉は左から、
ムンパー、ムンプシー(外間家の開祖)、
そして、ハニマンガナシーと、比嘉氏は記録した。
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ハニマンガナシーは、同じ南城市にある
大里・西原集落の根家「新垣がじゅまる屋
にも祀られている。ここへは今年3月に再訪した。
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Yahoo!地図に加筆した赤丸。左が大里西原の位置。
ちなみに赤丸の右が斎場御嶽の位置。
大里西原、斎場御嶽、久高島は、ほぼ東西に一直線
に並ぶ。上古にあった祭祀場の大掛かりな配置か。
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アマミキヨの神紋(写真右上)を掲げる
新垣がじゅまる屋の神壇。香炉は、
左から(写真には写らなかったが)ヒヌカン、
火の神、水の神、真ん中の壁の陰に女の神様、
そして、カニマン。
「女の神様は、屋敷内に御骨玉が祀られ、
カニマンの香炉は、カニマン御嶽
当てられている」と、語り部は言う。
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ヤマトタケルを各地で祀ったのは、
大和豪族の和邇氏に繫がる人々では
なかったかと何度か書いたが、
カニマン御嶽のあるこの大里西原も、
「沖縄の“和名”こと和邇氏が渡来して最初に
住み着いた場所では」と、語り部は言う。
いっぽう、和邇氏は渡来する前、朝鮮半島と
中国の国境地帯にあった産鉄地にいたと
『契丹古伝』に記されている。


大里西原で祀られるカニマンは、はたして
御先の鍛冶神か、もっと下った時代の鍛冶神か。
御先の神なら、代々祀り継がれてきたことになる。
また集落内のヌル殿内(どぅんち)にも、
カニマン御嶽に当てられた香炉が祀られている。


語り部が稲作起源の地・受水走水で白鳥や鷲を
霊視してきたというのは、そんな歴史の投影か。
和邇氏とカニマンとヤマトタケルというキーで、
沖縄と日本の歴史は繫がっているのではないか…。

by utoutou | 2015-07-16 13:20 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(1)