2016年 06月 26日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 28 てぃだ(太陽)の穴

ちょっとした疑問があった。「太陽の道」
は「鉄の道」と真弓常忠氏は説いたが、
北緯34度32分には幅(1分=1.85km)がある。
同じように「朝日さす夕陽輝く土地」でも、
南北1.85㎞のゾーンには山もあれば平地もある。
ならば太陽とも鉄とも言い切れないのでは…と。

山中には鉱床があり、平野は祭りの庭だった。
大和平野の中央であり、三輪山の真西に坐す
多神社(奈良県磯城郡田原本町)では上古から
三輪山の祭祀が行われていたと、「太陽の道」
に最初に着目した小川光三氏は、その
著書『大和の現像 知られざる古代太陽の道』
(大和書房)に、記している。

多神社が三輪山の祭祀にとって重要となった
理由は次の3つ(要約)。
・春分の朝日が三輪山の背後を輝かせて登ること。
・平野の中央にあるので、人々の集合に便利。
・古代は飛鳥川の河原か、寺川に挟まれた
中州のような所であったこと。

地元では、三輪山を「おおがみさん(神さん)」
と呼び、多神社を「おおのみやさん(宮さん)」
呼んできたという。つまり、「神を祀る場所」。
両者を結ぶ線上に、箸墓、室生寺、大鳥神社、
斎宮など聖蹟が並ぶとしたのが「太陽の道」だ。


↓写真は、小川光三著『大和の現像 〜
知られざる古代太陽の道』(大和書房)より拝借。
題して「多神社の杜と二上山の夕陽(秋)」。
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いっぽう、「鉄の道」は中央構造線と重なる。
↓こちらの地図は大鹿村構造線博物館HPの
中央構造線てなに?」から拝借したが、
大和平野を貫くように中央構造線の付加帯
(濃ピンク色)が走っているのが分かる。

ちなみにこの西日本内帯は、東は諏訪湖
まで、南は沖縄まで続いているという。
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「太陽の道」を発見した小川氏は、さらに
  興味深い、もうひとつの「太陽の道」を記した。

大神神社の摂社・桧原神社の真西を正確に計る
と、二上山北鹿の北側に見えるV字の谷で、
春分と秋分の夕日はここに当たるというが、
その谷とは、古来、大阪道とも呼ばれた穴虫峠。

万葉歌にもある大穴道(オオナムチ)が語源で、
そこには、古代人の宇宙観が反映されていると。
曰く、東から出た太陽は天空を横断して西の穴
(穴虫峠)に入り、翌日また東から現れる…。

このくだりを読んだとき、私は仰天した。
琉球の古代人の宇宙観とまるで同じなのだった。
久高島では、古来、地中には太陽の通る道
があると考えて、「てぃだが穴」と呼び、崇めた。
古来、アグルラキという御嶽では、その穴を
崇拝する祀りが行われていたという。


久高島、西海岸の漁港から本島を望む。
斎場御嶽の方向が「太陽(てぃだ)が穴」だ。
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'14年の夏至の日没を撮ったこの港、
↑古称「ちみんとぅまい」(聞得大君の着く港)
からは、斎場御嶽の奥宮・ナーワンダーグスクも
見える。そのグスクの様相も奈良の二上山に似て、
男(イキガ)女(イナグ)一対の巨岩である。

同じ景色を聖地として崇め、同じ宇宙観を持った古代
の人々。どちらも天体をよく知る海人族だったか。
「太陽の道」には、その習俗が感じられる。
















by utoutou | 2016-06-26 12:31 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)