2016年 07月 13日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 35 ヒミコは移動した

海部氏の系図に「とよ(豊)」のつく男孫が、
度々登場するが、その名の由来とは何か?
ということを考える前に、女神の話を少々…。

撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかき
いつのみたまあまさかるむかつひめ)は、
ご存じ、神功皇后が創祀した兵庫第一の古社
である廣田神社の主祭神。
日本書紀的には、天照大御神の荒魂とされるが、
この長い神名について、語り部はこう言っている。

「日巫女が掲げた神の依り代を連ねた神名だ」と。
彦火明命…のあの長い神名のときのように、
今回も分解してみると、意味がよく分かると。

そんなわけで、以下のように分解してみると…
撞賢木・厳之御魂・天疎・向津姫命。
なるほど、絵に描いたように日巫女像が見える。
剣・勾玉・鏡・を掲げて日神に向かう姫だ。


↓廣田神社の祭神名の由来はその祭祀にある?
a0300530_16304351.jpg


廣田神社の境内には古代祭祀を偲ぶ井戸もある。
a0300530_16305644.jpg


その神水は、神奈備である甲山から廣田神社へ。
その御手洗川はいま、散歩道や公園になっている。
↓ 廣田神社にある古代遺跡地図。
a0300530_16310742.jpg


では、その日巫女(向津姫)はどこにいたのか?
私は「豊の国」にいたのだろうと思った。
豊後、豊前、豊浦など「豊」のつく地名の多い
土地と言えば、北部九州である。海部氏の
先着隊は「豊の国」から丹後に移動した。

そして、その名残りをとどめるように、
首長の名に、「とよ(豊)」の暗号を潜ませた?

祭祀を担う日巫女は、撞賢木厳之御魂天疎向津姫命。
剣・勾玉・鏡という弥生時代の「三種の神器」
が、王墓からの副葬品として揃って出土するのは
全国でも北部九州だけで、畿内には見られないという。

「豊の国」には、あのヒミコの鏡の出土した
 日田(大分県)も含まれることは記憶に新しい。
思えば、その一族とは琉球から渡来した日下部
だったとは、何度か書いた()ことだった…。







by utoutou | 2016-07-13 21:28 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)