2016年 07月 17日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 36 琉球にいた海人七氏族

海部氏系図に「おとよ」という男孫がいる
いっぽう、歴史に残る姫に台与(とよ)がいる。
『魏志倭人伝』に卑弥呼が没して国が荒れた後、
13歳で女王として立ったと記された日巫女である。

海部氏の勘注系図では、
九世孫の妹・日女命(ひめのみこと)がいて、
その亦名が、倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめ)だが、これが卑弥呼か。

また日女命は十一世孫の妹にもいて、その亦名
稚日女命(わかひるめのみこと)、あるいは、
小豊姫命(おとよひめのみこと)となっている。
この姫が、どうやら台与のことらしい。
(伴とし子著『卑弥呼の孫トヨはアマテラス
だった』を参照)

小登与、小止与、雄豊、そして小豊姫…。
それら「おとよ」なる人々は、語り部が言うように
真名井神社の祭神・豊受大神に繋がる人々なのか?

語り部は言う。
「豊とは沖縄でいうトトの神、つまり偉大なる父神
を意味する言葉です。神様を拝んで合掌する
とき、沖縄の人たちはウートートと念じますよね。
そのトトです。そして、倭迹迹日百襲姫命に
あるトトも、私は同じ意味だと思っています」

私のブログネームはそのウートートから戴いたが、
豊受大神を指しているかもしれないとは驚きだ。
「豊」族が、古代に琉球から渡海した海人族なら、
邪馬台国の台与も琉球にいたことになるのか!?


なかば呆然としつつ、改めて
籠神社の所伝にいう豊受大神を見てみる…。

籠神社の先代宮司・海部穀定著『元初の最高神
と大和朝廷の元始 伊勢神宮鎮座前史の研究』
からは、次のような神像が浮かぶ。(要約)

☆雄略の時代、真名井原の与謝宮から伊勢
神宮外宮に御饌都神(みけつかみ、食の神)として
遷移した神格に限らず、宇宙根源の大元霊神である。
☆元初の神で、天御中主神、国常立尊に該当する。
☆その権現した神は、宇迦御魂(倉稲魂)である。

海人族は豊受大神こと宇宙の大元神を信仰した。
思えば、ウカノミタマ(宇迦御魂、倉稲魂)に
ついては1年ほど前に、こちらのシリーズで書いた。
久高島や玉城に残るかすかな手がかりをもとに、
ウカノミタマとは、龍蛇(大船)に同乗して移動
した「7つの首の蛇」こと海人七氏族のことだと。


そして今月上旬、語り部が、何十年も昔に
聞いたあることを、突然思い出したと言った。
  
「御先(うさち、上古)の時代、伊計島からヤマト
に上った七氏族がいたと、神人から聞いたことが
 あります。伊計島にその場所が残っていたんです」

ちょうど沖縄にいた私は、
語り部に案内を頼み、レンタカーを走らせた。


古代氏族の痕跡はしっかりと残っていた。
伊計島の集落のはずれにある御嶽・セーナナー。
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セーナナー(七氏族)の詳しい動向は忘れ
去られたようだが、うるま市教育委員会による
標識が立っており、次のような説明があった。

〜セーナナーは、伊計島に人が最初に暮らした
地と言われている聖地です。その場所から
ニシバル(西原)のシンヤマへ移住したと
伝えられています。
かつて、伊計島のナナウジ(神を祀る家)たち
は御馳走を供え、祈願しましたが、残念ながら
現在は行われていません。〜


鳥居から入った聖域には、拝所や石棺が並ぶ。
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拝所ばかりではない。語り部がジャングルのような
草むらを進むので追うと、その先に開けたのは…。
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海、太平洋である。
さらに、岩場伝いに干潮の波打ち際まで降りると、
これはヒミコの鏡??という光景が目に飛び込んだ。
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by utoutou | 2016-07-17 21:18 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(6)