2016年 08月 29日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 48 空海の鷲林寺

 六甲比命神社への参拝をきっかけに、
南方系海人族の痕跡を求めて、はや半年。
50回まであと少しというロングランと相成った。
「六甲山を1、2回」の予定が、ここまで続くとは。

  語り部は言ったものだ。
「六甲山には、琉球の宝珠が隠されていると思う。
神呪寺の極秘本尊であり、空海作の如意輪観音像
の中か、六甲比命神社の周辺のどこかに…」
   
その宝珠は、琉球を出て日本列島のヘソにあたる
六甲山に居所を定め、日本という国体の元を造り、
やがて表舞台から消えた、琉球海人族の存在証明だと。

その一族は紀元前の時代から、南薩摩を本拠に
琉球諸島や大陸との間を航海して貝交易で活躍した
隼人族、後の日下部氏だと私は考えるようになった。
「六甲山と瀬織津姫」を追うと、摂津から丹後地方に
かけての随所に日下部氏が見え隠れするからだ。

昨日、語り部は言った。
「瀬織津姫は、豊受姫であり、大日孁貴であり、
撞賢木厳之御魂向津姫であり、龍宮乙姫なのですよ」

宝珠とはやはり…と、私は思った。
龍宮(琉球)乙姫から浦島太郎が受け取った
玉手箱に入っていた「琉球の玉」に違いないと。

実際、鎌倉時代末期の作という
『元亨釈書』は、次のように記している(要約・訳)。
〜淳和天皇の次妃・真井御前(如意尼)は丹州与佐
の出身。828年、空海に従い出家して神呪寺を建立。
これより前の825年、故郷へ里帰りした真井御前は、
龍宮から帰った浦島太郎から玉手箱を受け取った。
空海はそれを如意輪観音に入れた。〜

浦島太郎の玉手箱。おそらく、これが、
「六甲山と瀬織津姫」を探る最後のヒントだ。

キーパーソン・空海はまた、神呪寺から1.5kmの
至近距離の山中に鷲林寺(じゅうりんじ)を建て、
まるで六甲山に結界を張るように、修験道を作った。
それはまたどうしてなのか?




六甲山・鷲林寺(西宮市鷲林寺町)の本堂。
a0300530_14042782.jpg




鷲林寺本堂の右奥に立つ、弘法大師・空海。
訪れたのは5月、神呪寺本尊御開帳の前日だった。
a0300530_13573861.png



↓手水舎の大鷲。鷲林寺HPの由緒によれば、
〜 833年、淳和天皇の命を受け霊場を物色して
いた空海が廣田神社に泊まっていたとき、夢枕に
立った仙人からの指示で西の山へ向かったが、
道中、大鷲が現れて火炎を吹き邪魔をしたという。
そこで清水に浸した木の枝で大鷲を追い払い、
桜の霊木で十一面観音を彫り本尊として祀った〜
a0300530_14004206.jpg



↓荒神堂。
大鷲と化した麁乱荒神(そらんこうじん)を祀る。
説明板には次のようにある(要約)。
麁乱荒神は、神呪寺の開基伝にも登場するので、
両寺にとって大切な尊である。麁乱荒神とは、
8つの顔と8本の腕を持つ八面六臂の姿で、別名を
三宝荒神という。俗に「竃の神」としても信仰される。
なお、宝塚市の清荒神・清澄寺も同神である。〜
a0300530_14052387.jpg


空海は、
神仏習合により神祇信仰が行き詰まった9世紀、
瀬織津姫(撞賢木厳之御魂天疎向津姫)を
麁乱荒神(八臂弁財天)として、隠し祀ったのだろう。



















by utoutou | 2016-08-29 21:12 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)