2016年 09月 09日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 50 猿田彦大神

「六甲山は海神の砦と言いますが、この地で
 いちばん古い海神は?」と、語り部が聞いた。

住吉大神について度々書いたのを見て、何か
他に見たものを忘れていないかと、言外に…。

「それならば、猿田彦大神ですね」と
言おうとして、止めておいた。急がば回れ、
直感で言うよりも慎重に裏取りを試みようかと。
迷宮入り寸前の事件を扱う刑事のような心境で。



↓こちら神呪寺と、神奈備である甲山。
本堂屋上の火炎宝珠のあしらいが鮮やか。
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その本堂。手前右に「淳和天皇聖蹟」の石碑が、
手前左に「開山如意尼公領」の石碑が建っている。
が、それはあくまでも本堂落成(831年)の年号。
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時代は溯り(4世紀末)、神功皇后は甲山の頂上
に如意宝珠と兜を埋めて、国家平安守護のための
 祈願をしたと、甲山登山道の入口に標されていた。
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さて、
まさに神功皇后の朝鮮出兵(百済救援)の帰り、
難波に向かう途中、船がぐるぐる廻って難航した。
そして「住吉三神を祀れ」との神託があった。
というのが、「住吉大社=海神」の創建由来だった。

その住吉大社の近くにお住まいという方から、
先日、コメントをいただいた。
「住吉大社の地には、もともと、いまの摂社の
大海神社が鎮座していたと言われています」と。

住吉大社境内の東北に坐す大海神社の場所は、
もとは海に突き出た断崖だったと由緒にもある。

綿津見信仰の古い歴史を示す象徴的な話だ。
大海神社の祭神は、豊玉彦と豊玉姫。
その神籬は、海神である父とその姫のいた龍宮
として、古代海人の崇敬を集めたのだろう。

龍宮の主である綿津見神について、
『古事記』は、「安曇連等の祖神」と記している。
逆に「安曇連等は綿津見神の子・宇都志日金析命
(うつしひがなさくのみこと)の子孫なり」とも。

宇都志日金析命とは、猿田彦大神のこと。
沖縄・久高島では、二ライ大主(うふぬし)と
見られていたと私は考えた(記事はこちら)が、
その猿田彦大神が、ここ甲山に祀られていたとは…。



↓登山道の入口に、祠が並ぶ一角がある。
甲山稲荷大師(左手前)のほうは、左右に
白龍大明神・白菊大明神が合祀されている。
由緒は不明だが、稲荷(=鋳成り)ということは、
 甲山も古代は産鉄地だったということだろうか。
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猿田彦大神(白鬚大明神)の祠は、右(東)隣りに。
琵琶湖西岸(高島市)の白鬚神社に詣でたことが
あったが(記事はこちら)、祭神は同じ猿田彦大神である。
その右奥、小さな石祠には善女龍王が祀られている。
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割と新しい社だったが、ともあれ、
この地に海部氏と同族で綿津見神を奉斎する安曇氏
 とその末裔がいたことを暗示しているように思う。

安曇氏は北九州が本拠と言われるが、
神功皇后に随行した武内宿禰も同族と思われる。
この地で銅の採掘をしたという日下部氏も…。




by utoutou | 2016-09-09 05:27 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)