2016年 09月 20日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 53 真名井神社

六甲山と丹後の関係を、姫=巫女=女性祭祀者
 に求めると、筆頭に真名井御前が挙げられる。

時代は「丹後の姫たち」が武庫の地に来てから
かなり下るが、籠神社海部氏の娘に生まれ、その
奥宮と同名を授けられ(籠神社では真井御前と記す)
10歳から京都・六角堂で修行して空海と出会い、
淳和天皇の妃となるも出家して如意尼を名乗り、
甲山・神呪寺を建て自ら如意輪観音菩薩のモデルと
 なる…なんだかとても数奇な人生を辿った姫だった。

また「浦島太郎」との年代の一致を見ると、
真名井御前は、封じられた民が長く待ち望んだ
 霊力高き「丹後の姫」だったようにも思える。

年譜は以前「浦島太郎と玉手箱」に書いた通りで…
雄略22(478)年、豊受大神が、この元伊勢から
伊勢へと遷座したのと同年、浦島子(浦島太郎)
は龍宮へ行った(以上『日本書紀』)。そして、
347年後の天長2(825)年、浦島子が帰還した
その頃、真名井御前は神呪寺を創建。空海が、
浦嶋子の持ち帰った宝箱を如意輪観音像に隠した。

この隠された龍宮の宝箱が、語り部の視る
「龍宮(琉球)の「ぬぶし玉(宝珠)」なのか?
とすればなぜ、淳和天皇の世はそれを望んだのか?
などをつらつら考えるのが、丹後旅のテーマだ…。



まずは籠神社・奥宮の真名井神社へ。
主祭神・豊受大神。籠神社から徒歩15分、
背後の御神体山を目指して急いだが…ガク然。
3年前の秋とは違い「立ち入り禁止」となっていた。
拝殿横から正面には見えるが、手は届かない。
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↑鈴なりの鈴の横に、案内書きがあった。
〜天に通ずる御生れ鈴
『丹後国風土記』や『古事記』『日本書紀』に
よれば、天橋立(天浮橋)は神々が天と地を交うため
 に造られた梯子(橋)であったと伝えられています。
その根元にある磐座は天に坐す神々に願いを伝える
特別神聖な祈りの場でありました。この御生れ鈴の
清らかな音色は磐座を通して参拝者の心を
天まで届けるものです。〜




↓御神体山(3年前の撮影)の前。いまは、
白石が敷き詰められ、遠くから拝するのみ。
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こちらも3年前の真名井神社。奥へ一歩進むと、
神代の時空に浸る気がしたものだったが、残念。
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この度は、写真に映る方たちと同じように、
塀から身を乗り出し、恨めし気に参拝した。
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いまは、「古代祭祀場」のうち左側の
天照大神(男神?)の磐座をこうして覗く感じ。
右に映る建物は、真名井神社の拝殿。
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真名井の霊水で磨かれ美しく育った厳子姫は、
20歳のとき、まだ皇太子だった後の淳和天皇に
みそめられて、第4の妃として迎えられたという。
こちら磐座に射す西陽(クドいようだが3年前の撮影)。
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さて、いよいよ浦島神社へと出発。
籠神社の正面には「本宮御鎮座千三百年」と。
来る平成31年が、記念の年となるらしい。
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by utoutou | 2016-09-20 22:38 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(1)