2016年 10月 12日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 59 帰れなかった天女

豊玉・玉依はワニの姫…と感慨に耽る間もなく、
「和奈佐比古命を追えばワニ船の海路が分かる」
と、語り部は言った。神託の翻訳である。
神託はいつも言葉やイメージでやって来る。
今回はおそらく「ワナサヒコ」と「大海をゆく船」。

「ワナサヒコはワニ船の船長ですか?」
私が訊くと、語り部は言った。
「王・首長でしょう。後の日下部、日置、安曇、
忌部、物部、出雲、阿智…みな海部と同族です」


伊計島 ↓セーナナー(海人七氏族)の御嶽に
祀られる人々だろう(今年7月の記事はこちらに)。
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その本拠地は「7つの首の蛇」伝承と、祭祀用の
ワニ船が残る久高島だと、私は思った。
語り部の話は続く。
「志賀島、玄界灘、宇佐、伊予、六甲、福知山へ、
または、豊後水道、阿波、六甲、丹後、出雲へ、
次第に分かれて行ったように視えます。
 ところで、阿波に大里八幡神社はありますか?」

調べると、トップヒットに徳島県海陽町観光協会
「大里八幡神社秋祭り」がきた。来る10/16(日)、
7台の関船やだんじりが宮入する祭りがあると。
古くは「川越し(船曳き神事)」であったらしい。

関船とは中世以降の水軍が繰った軍船だから、
祭り自体の歴史は古代までは溯らないか…。

と思いきや、和奈佐は海陽町の古名だった。
大里八幡神社(海部郡海南町大里)の前身社は
 和奈佐意富曽神社(わなさおうそじんじゃ)だと、
『阿府志』(18C末)の記録にもあった。


それにしても大里とは…。斎場御嶽を東に望み、
神代から続く拝所・天代大世があり、源為朝や
天孫氏王朝や、大陸のワニ族の流れを汲むらしい
 沖縄の集落と同じ地名。とても偶然とは思えない。
(記事は→ こちらや、こちらに)


ともあれ、徳島県にある和奈佐意富曽神社の
祭神は、誉田別神、天照大神、天児屋根神。
天児屋根神の亦名は、春日権現・春日大明神。
春日権現は藤原氏の氏神というのが一般的だが、
元は春日・和邇(同族)の祖神という説は根強い。


阿波には和奈佐比古命の痕跡があった。
出雲にも和奈佐神社があった。その
祭神は、阿波枳閇(あわきへ)和奈佐比古命。
「阿波から来た和奈佐比古命」という意味という。



そして、丹後にも和奈佐比古命の痕跡がある。
先日訪れた、比沼麻奈為(ひぬまない)神社。
京都府京丹後市峰山町久次)。
丹後の豪族・和邇氏の健振熊宿禰が率いる海部水軍
の本拠地だった久美浜(兜山)から、車で30分。
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鳥居の左手には、豊受宮の社号碑が立つ。
『延喜式』の「比沼麻奈為神社(丹後国丹波郡)」
に比定される社のひとつ。つまり、伊勢大神宮の
外宮・豊受大神宮の「元伊勢」と言われ、
『止由気宮儀式帳』の「比治真名井」であり、
『倭姫命世紀』の「与佐郡小見比治之魚井原」でもある。
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また、丹後の「羽衣伝説」の舞台でもある。
〜8人の天女が比治山の真奈井で水浴びをして
いると、和奈佐という老夫婦が来て羽衣を隠し、
帰れなかった天女を子としたが、家が富むと、
  今度は「汝は我が子ではない」と追い出した。
天女は悲しみ、最後に辿り着いた奈具の村の
奈具の社で豊宇賀能売命として祀られた〜
(※『丹後国風土記』逸文、要約)

  和奈佐の老夫婦はひどい人物に描かれるが、
 天女物語が、先住神を追い出した天津神が、
 正当性を主張した逸話と考えれば納得がいく。

その天女こと豊宇賀能売命は、伊勢外宮に
移されて、天照大神の御饌津神である
 豊受大神になったと『止由気宮儀式帳』は記す。

天女伝説について、私はこう思う。
雄略22年、豊受大神(天御中主神=北極星)
は、天照大神に請われ7人の天女(北斗七星)
とともに、御饌津神として伊勢へと遷座した。
北斗七星の舗星とも、また天祖とも考えられる
 和奈佐の天女・豊宇賀能売命は天に帰れなかった。
 天は新生の皇祖・天照大神に奪われていたからだ。



静かな聖域・丹後の比治麻奈為神社。
その西際に、奉納を記念する立石が並ぶ。
右端に最高額「金壱千萬圓」とあって驚いた。
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by utoutou | 2016-10-12 16:17 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(8)