2016年 11月 18日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 67 「1万3千年前」の北極星?

昭和時代の初期に六甲山の磐座を踏破した
古事記研究家の荒深道斉(あらふかみちなり)氏
は、磐座を描いた多くのスケッチを描いたが、
三国岩については、他に比べて「よほど古い」との
感想を残した。「2万6千年前」とは特定しなかったが、
あの「天文図」から他の磐座とは一線を画したらしい。


三国岩の翌日、ご案内いたいた山男さん一行と
は別れて、六甲比命神社の磐座を再訪した。
そして、拝殿奥の神殿その横面を、改めて見上げた。
三国岩と同じくハンバーガー型に巨石を積み上げてある。
が、見た目の印象は、三国岩のそれとは大きく異なる。
1枚1枚の巨石が直線的で、どこか洗練されているような。
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↓こちら前回紹介した三国岩(再掲)。
積んだ巨石はそれぞれに曲線的で、素朴で柔らかな印象。
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石を加工した痕跡を感じる磐座と、そうでない磐座。
その違いはいったい何を物語るのか‥。調べると、
文明史家の原田実氏が興味深い記事を著している。
(『謎の巨石文明と古代日本』'96年、新人物往来社)
タイトルは「巨石文明の起源と瀬戸内海誕生の謎」。

以下、要約。

☆ビュルム氷河期が終わり、ムー大陸が沈没した
1万2千年前、水位の上昇で日本の陸地も沈んだが、
瀬戸内(平原)も例外ではなく、海に沈んだ。
☆明石沖には、おびただしい数のゾウの化石が眠る。
☆瀬戸内の海底から60万点の石器も出土している。
☆2万数千年前、瀬戸内技法によりナイフ型の
新型石器が大量生産されるようになり、各地に流通した。
☆当時から、巨石崇拝は盛んだったと考えられる。

原田氏は、六甲の磐座群に言及はしていないが、
私は妄想した。もしや六甲比命の磐座は、その
ナイフ型の石器を使って造られた磐座ではなかったかと。
時期は、新型石器が登場した2万数千年前以降、
瀬戸内平原が沈んだと言われる1万2千年前までか‥。

思えば、1万3千年前の北極星は琴座α星のベガ。
瀬織津姫は、時代はぐっと下るが、天白信仰では
七夕の織姫=琴座のベガにも例えられたのだった。
1万3千年前の北極星は、女神だったのかもしれない‥。


などと考えつつ、後世多くの修験僧が向津姫の神威
を感得したという六甲比命大善神の磐座に向かったが、
磐座造成の時期を示すような刻印は見当たらなかった。
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それにしても、旧石器時代の定義は激変している。
沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡から出土した釣り針が
世界最古、2万3千年前のものと判明したという
ニュースに、ほんの2ヶ月前に接したばかりだった。


釣り針は、海幸山幸の物語を借りるまでもなく、
古代海人族の象徴だった。その筆頭とも言える
安曇族は海を渉るとき、釣り針を北斗七星に
見立てた日月星辰の幟旗を船に掲げていたという。
ちなみに、沖縄では北斗七星を「にぶとぅいぶし」
とか、「柄杓星(ひしゃくぼし)」と呼ぶ。
(※↓イラストは東洋医学史研究会さまのHPから拝借)
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そう言えば、安曇氏ゆかりの志賀海神社
(福岡市東区志賀島)の沖津宮には、
天御中主神が綿津見三神とともに祀られている。
綿津見三神が主祭神だが、元は逆だったか? と思う。





































by utoutou | 2016-11-18 12:03 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)