2016年 12月 01日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 70 宇迦之御霊命

蛭児(ヒルコ)神社で、いささか驚いたもう一件。
蛭児神社の遷宮について勅諚を発した源実朝が、
その様子を句に詠んだちょうど1211(建暦元)年
の10月、鴨長明が鎌倉に下り実朝に謁見したと、
『吾妻鏡』(1300年頃)は記している。

下鴨神社社家を出自とする鴨長明の『方丈記』は、
写本を丹波町の大福光寺が所蔵していたともいう。

そんなわけで、
丹後に縁深い長明(当時66歳)と実朝(19歳)が、
伊勢外宮の遷宮に当たるこの年、何を話したか。
豊受大神の鎮座した元伊勢・丹後を話題にしない
わけがないと思うのだが、どうだろうか‥。

また、下鴨神社「糺(ただす)の森」の語源は、
丹波道主命の正名・丹波比古多多須美知能宇斯王
が由来だと籠神社の秘伝にある。その道主命の
古墳と伝わる大明神古墳のあるこの地・湊宮を、
長明は当然のこと熟知していたはずだ‥などと
妄想を膨らませるいっぽう、往古は京の都の
表玄関であったろう丹後久美浜・湊宮の栄枯を
ここ数日、思わずにはいられなかった。


さて、実朝の詠んだ「朝日の宮の宮遷し〜」の
朝日の宮とはこの蛭児神社のことと由緒は記すが、
湊宮の西隣り蒲井・旭地区にも「旭神社」がある。
人の気のない海の近くの集落の崖上に坐している。
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『熊野郡史』(大12)に、以下の記述がある。
〜無社格 旭神社 湊村大字蒲井小字旭谷
祭神 宇迦之御霊命
往古 朝日長者の氏神と傳ふるのみにて、
勧請その他の由緒詳ならず。

境内神社 金比羅神社
祭神 大物主命
由緒 不詳 〜


旭谷の地名通り、海岸からは谷合のような立地
に旭神社はあった。集落のまさに上方に鎮座する。
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社殿裏に、いまは旭漁港という小港を見下ろす。
境内で鹿が静かに遊んでいた(写真の中央)。
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社殿の一段上の丘に金比羅神社がある。
社号標ではそう読めたが「神様の気配はないね」
「空っぽ?」と、沖縄から来た友人と言い合った。
もし語り部の視る通り、この旭神社から蛭児神社
へと、日留居大明神が遷移したというのなら、
この実感は当たりと言うことになるのだが‥。
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境内は、3段階の丘といった構造になっている。
金比羅神社のさらに高台にも小祠(写真左)がある。
港の番所かとも思うが、辺りに尋ねる人もいない。
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スマホで撮った ↓ その屋根の画像を拡大して、
私たちは声を上げた。「あら、これは船玉!?」と。
船玉神とは海人族が祀った航海安全の守護神。
琉球では「ウミナイの御霊力(おしじ)」という。
ウミナイとは、王府時代で言えば聞得大君のこと。
ヤマト言葉なら、さしずめ「オオヒルメの船玉」か。
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大綿津見神を崇める安曇族の裔という彼女は言った。
「来てよかった、これで旅の目的は果たしました」
ここが先祖が辿った長旅の終着地と感得したらしい。

宇迦之御霊(魂)命‥ウカノミタマノカミとは、
古代琉球を旅立った海人七氏族のことだと
何度か書いてきたが、この地で思った。その
御霊(魂)とは、船玉の神を指していたのではと。


丘の上の祠前から東の海を見ると、すぐそこ
に四神之嶽(シジラ、写真右)が聳えていた。
山上に日留居大明神の本宮が座していたという。
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そして日留居大明神はこの旭の山にも坐していた
と、語り部は視ている。ダブル・ヒルコか?
そして、ふたりのヒルメも彼には視えるという‥。



by utoutou | 2016-12-01 23:50 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(6)