2016年 12月 10日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 72 住吉大神の港

「朝日長者が誰かをもっと紐解くには、伊勢
 志摩の浦島太郎・竜宮伝説がヒントになります」
と語り部が言った、そのキーマン・朝日長者。

語り部がなぜこうも朝日長者にこだわるのか‥。
話が伊勢に飛ぶ前に、その意図を私なりに考えた。

朝日長者は、第13代成務天皇の時代に栄えた人。
〜三枚畑の真ん中に黄金千枚縄千束〜と、
長者ぶりを歌われだが、その屋敷跡が今も残る。


旭神社に最寄りの広場には、観光案内板が立つ。
空き地のようだが屋敷跡。旧蹟中の旧蹟である。
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案内板(写真右)を後方から撮る。海が目の前。
港の中に、江戸時代の千石船の船繋ぎ石がある。
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朝日浦や蒲井の湊は、往古から海運が盛んだった。
江戸時代は千石船の港で、20隻の廻船と船大工がいたと。
同じ久美浜で朝日浦から東へ約10㎞離れた長柄には
幕府領の倉庫があり、そこから小船で朝日浦に着いた
年貢米は、千石船に積み替えられてから江戸に運ばれた。
ここ朝日浦は、風待ちの港として発達したのだった。

旭神社の祭神・宇迦之御霊命は朝日長者の氏神
と由緒にあるが、それは住吉大神の亦名でもある。
古来この地で、住吉系の海人族が活躍していたらしい。

私たちが見た旭神社の小祠に乗った「船玉神」は、
住吉大神の信仰を物語る痕跡だったのだろう。

先日参った蛭児神社や、浦嶋神社には、
境内に、江戸時代の千石船の模型が保存されている。

逆に考えれば、絶壁が続く丹後半島の海岸で、付け根
にある朝日・蒲井の港、蛭児神社のある湊宮、また、
丹後半島を北東にぐるり半周して浦嶋神社のある伊根町、
この3港だけが、千石船の停泊する港として機能した。

いっぽう、久美浜湾など深く入り込んだ潟湖に繋がる
河口は大和への交易ルートとなり、古墳が作られた。


廻船が往来した朝日浦。右の電信柱あたりが屋敷跡。
山の向こうに旭神社が鎮座する。左は無人らしい小島。
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前置きがすっかり長くなってしまったが‥、
丹後から遠く離れた伊勢志摩にもあるという
浦嶋太郎や竜宮伝説を探すのは、難しくなかった。
語り部は、こうも言っていたものだった。

「志摩の阿児町の安乗(あのり)岬の伝説。
浦嶋太郎や海女が竜宮から持ち帰ったという玉手箱
の中に入っていたものが、ヒントになるはずです」
「その玉手箱は伊雑宮に納められたと思いますが、
 中に入っていたものが、朝日長者と関係しています」

さて、伊勢志摩の竜宮伝説に曰く、
玉手箱に入っていたものとは、蚊帳(かや)だった。

蚊帳‥かや‥それがはたして何を意味するのか。
そして、なぜ伊雑宮に納められたと伝わるのか。

ぐるぐると考え尽くした半日後、語り部に連絡した。
「蚊帳は、カヤの比喩なんじゃないかと思います。
朝日長者は朝鮮半島の伽耶から渡来した人では?」

語り部は言った。
「ただ、もうひとつ答がある‥。そして、
どちらも、古代の琉球に関係があると思います」

















by utoutou | 2016-12-10 09:17 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)