2016年 12月 17日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 74 漂着した豊玉姫神

伊雑宮の周辺に残る龍宮伝説によれば、
海女が持ち帰った玉手箱の中には蚊帳が入っていた。
「かや」とは「萱」の暗喩だと語り部は言ったが、
私は「伽耶」なのではないだろうかと、思った。

六甲から丹後・久美浜へ行った日帰り旅の最後に、
福島神社(京丹後市久美浜町蒲井)に参拝した。


旭神社から車で1分、蒲井漁港に隣接して鎮座。
各地の弁財天と同様に、水際に祀られている。
鳥居奥、石階段の上はさらに急勾配でまさに御嶽。
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歴史を感じさせる石灯籠に、こう刻まれていた。
〜 安政六年 未 八月 氏子中 〜

社名は港にいた漁師さんに聞いた。祭神についても。
「豊玉姫だね。安産の神様で人気がある」と言う。
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ところが、『熊野郡史』によれば、
福島神社の在所はここではなく、近くの
八坂神社(祭神・素戔嗚命)の摂社となっている。
合祀されたのは元禄時代以前。祭神は豊玉毘古命。
つまり、豊玉毘売命だけが勧請されずに残ったのか?

謎めいた由緒だが、次の一文にも胸が騒いだ。
〜創立その他の由緒明ならず、福島神社は壱岐国より
漂流し来れるものといひ傳ふ。明治四十三年四月
小字福島より八坂神社に合併せり。〜

壱岐から漂流してきた神!? 行ったことはない
が、私は壱岐で有名な月読神社を思い浮かべた。



興味深いのは、月読神社HPで見た全景のイラストが、
こちらの福島神社とそっくりだったことだ。もしや、
丹後に来た海人が、故郷・壱岐を偲び祖神を祀ったのか。
↓こちら全景とは言い難い写真だが‥かなり似ている。
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さて、往古、壱岐に
月読神社を創建したのは任那帰りの人だったという。
任那とは3〜6世紀半ばに朝鮮半島にあった
小国家群、伽耶(加羅諸国)の別名である。

壱岐・月読神社の由緒は、次の通り(要約)。
〜顕宗天皇3年(487年)阿閉臣事代という官吏が、
任那へと出向いた際に神託があった。
「月の神を祀れ、そうすれば良いことがある」と。
奏上を受けた朝廷は、壱岐の県主(壱岐氏)に命じて、
月読神社から分霊させ、京都に祀らせた。〜
(※『日本書記』にも同様のくだりがある)


壱岐氏は、綿津見神を祖神とする安曇氏と同族。
豊玉姫には、壱岐氏が祀った月神の神格も備えている。
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月の神ならば、こちらに祀られる豊玉姫が
「安産の女神」として拝されるのは当然のことだ。
出産つまり生命の萌芽と誕生は、月の引力に依る。
「萱の国」の鹿屋野姫が酒の神・発酵の神であるように、
豊玉姫は生命を司る女神、そして鵜草葺不合命の母神。
いっぽう、父神は彦火火出見命。
日向伝説の海幸・山幸物語で名高い山幸彦のことだ。


福島神社の前から四神ヶ嶽(シジラ、中央)を望む。
その頂上には、古来、日留居大明神が祀られていた。
ヒコ(日御子)とヒメ(日巫女)が向き合っている。
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さて、縄文人は月信仰だった。
時代は下って、日下部首の浦島太郎も月信仰だった。
浦島神社は、相殿に月読命と祓戸大神を祀る。

いっぽう、沖縄には
「朝神・夕神(朝カン、夕カン)」という風習がある。
朝に夕に、祖霊・祖神へutoutou(礼拝)する。
それは、朝神(日神)と夕神(月神)への祈りだ。

神の島・久高島の祭りイザイホーが、冬至の
頃の満月の夜の月の出(大潮の時刻)に始まり、
4日目の朝の潮が引く時刻に終わるのも、
月神に五穀豊穣と子孫繁栄を願ってのことだった。

神女たちが祭場に駆け込んで3晩にわたる大祭の幕は
切って落とされるが、最初の儀式は「夕神遊び」。
夕神とは月のことで、つまりイザイホーとは、
神女たちが月の神威を授かる祭りでもあった。

ところで、伽耶にいた人々は月信仰だったか?
その点、語り部は常々言っていたものだった。
「沖縄方言のウートートーは、トトの神…
エジプト神話の月の神が語源なのだと思います」

アマミキヨ族は、ユーラシア大陸を東へと渡り来て、
さらに朝鮮半島から海を渡り琉球の島々に着いたか
と、「大陸渡来のワニはアマミキヨ?」に書いたこと
があったが、その最後の集団が伽耶にいた人々で、
 一部は丹後へも渡来したのだろうと、私は思う‥。 









by utoutou | 2016-12-17 21:33 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)