2017年 01月 05日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 77 加耶から来た稚日女神

本年もよろしくお願いいたします。
ということで、お正月(3日)、年末からの加耶の
 話にちなんで大國魂神社(東京府中市)に初詣した。


参道には恒例の露店が賑やかに並んでおり、
社門はこの通り屋台のテントに囲まれていたが‥。
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鳥居の下は人の波、スマホを上向きで撮るしかなく‥。
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長蛇の末尾につく前に境内に紛れ込んでみたが、
参拝客の列は拝殿まで続いていた。当たり前か‥。
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お正月らしい人垣というより神社が見たいので、
境内から振り返り、隋神門を撮ってみたりする。
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一昨年、↑こちら大国魂神社の隋神門にちなみ、
ヤマトタケル〜大国主と天日槍』を書いた。
あのとき語り部は、「天日槍は大国主」だと言った。
「その祖先は国堅大神(くにかためしし大神)」とも。

国堅大神の名は、『播磨国風土記』にあり、
「大国主の別称」と記されているが、
加耶から来た渡来人の可能性が大いにある。

国堅大神は丹生山(神戸市北区)の丹生神社に
に祀られているが、祀ったのはその子である
爾保都比売姫(丹生都比売)だと、同『風土記』に。

神名が示す通り、ここは丹生(朱砂・水銀)の
産地で、同時に鉄・銅・金などの鉱物も産出した。
国堅大神とは渡来の産鉄神、韓鍛冶だったわけだ。

丹生津姫には稚日女尊という別名があった。
神功の三韓征伐の帰途「我を生田に祀れ」と託宣
したあの女神で、生田神社(神戸市中央区)では、
天照大御神自身の幼名とも説明している。
国堅大神が加耶から来たなら、当然のこと
   姫もまた加耶から来たことになるが‥。  


ところで、
丹生津姫のいた丹生山(六甲山系)あたりに
韓鍛冶だった忍海(おしぬみ)部の根拠地があるが、
その押部谷町に、なんと顕宗・仁顕神社が鎮座する。
前回のブログに書いた、逃亡したオケオケ2皇子
が身を寄せた2ヶ所目の潜伏先が、この地だった。
つまり忍海部も日下部と同族か縁故ある一族である。

国堅大神、丹生津姫、稚日女尊、天日槍、
神功皇后、顕宗・仁顕という天皇兄弟が、
「加耶」「日下部」のキーワードで繋がってくる。
稚日女尊を幼名とした皇祖神・天照大御神もまた‥。
天皇家も加耶から来た一族だったのだろう。

では、琉球はどうだろうか?
今年いちばんに語り部に電話したのは、ここ
大国魂神社の境内からだったが、私は言った。
「久高島の瀬織津姫ことアカララキに坐す神様も、
加耶から渡来した女神に思えてきましたよ」
「ようやく悟りましたか」と、語り部は言った。

アカララキとは、「アカラ(大加羅)の御嶽」
のことかもしれないと、私はついに思うに至った。



結局、本殿参拝は後日に回して、奥の摂社に詣でて‥
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人のまばらな水神社で、龍神から若水を戴いた。
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by utoutou | 2017-01-05 18:16 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)