2017年 01月 16日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 79 稚日女命の復活

稚日女命を主祭神とする伊射波(いざわ)神社
(鳥羽市安楽島町)。加布良古岬に鎮座しており、
古来、加布良古大明神として親しまれたという。

安楽島(あらしま)の地名は、加耶からの渡来人
が住んだ土地ということなのだろうかと、古名
を調べると、これまた朝鮮半島に、そして
 六甲に、大きな関わりがあることに気がついた。

旧名は、他でもない稚日女命の亦名に示されていた。
…神功皇后が三韓征伐に行った帰路、
難波へ向かおうとしたが、船が真っ直ぐに進まない
ので武庫の港(神戸港)へ廻って審神をすると、
稚日女命が現れて名乗った…その神名こそが、
「尾田の吾田節の淡郡に居る神」であった。
※『日本書紀』(岩波版)神功皇后摂政前紀。

尾田(現在の加布良古の古名)の
吾田節(現在の答志郡の古名)の
淡郡(粟島、現在の安楽郡の古名)に居た稚日女命
が、「私は活田長狭国にいたい」と宣ったのだった。
それが、神戸三宮に鎮座する生田神社の由緒だ。



天皇家の十六菊を神紋とする生田神社。
皇祖神・天照大御神の妹神という稚日女命を祀る。
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思えば、稚日女命の亦名であるらしい
加布良古大明神の「布」を含んだ神名も、
『日本書紀』に記された神話に、いかにも相応しい。

服織り女(はたおりめ)であった稚日女命は、
高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織って
いたときに、スサノオに、逆剥ぎにした馬の皮を
投げ込まれたため驚いて機から落ち、手にしていた
機織りの梭(ひ)で身体を傷つけて死んだのだから。
(『古事記』では、梭でホトを突いて死んだとある)

この神話の上にこそ、丹後の倭姫が天照大御神を
背負い巡行して伊勢に到着したときの神話…
伊勢の五十鈴の川上に着くと、大宮の辺りに
八尋の機屋を建て、天棚機姫の孫の八千々姫命
に、高天原でしていたように大御神の神御衣を
織らせた…(※『倭姫命世記』)という
稚日女命の復活を思わせる第二の神話が成り立つ。

この書では、記紀に稚日女命とある服織り姫は
天棚機姫(あめのたなばたひめ)となっている
が、その背景にも、書を撰した度会氏
(伊勢外宮・豊受大神宮の神職家)の譲れない
 伝承があってのことかと、大いに興味を引かれる。

天棚機姫は幡千千姫(※日本書紀。古事記では 
萬幡豊秋津師比売命)と同神とされるが、
その伝でいけば、稚日女命は幡千千姫であり、
皇高産霊命の娘ということになる。

それは、ともあれ…
機織りの伝承は現代まで続き、機殿神社二社が
伊勢神宮内宮所管社として松阪市に鎮座している。
神宮の神御衣祭を控えた5月と10月には神職
が出向いて、八尋殿で機織りを奉職するという。



神宮の神服織機殿神社と神麻続機殿神社
の二社は「両機殿」と呼ばれる。
↓写真は「伊勢神宮123社めぐり」より拝借。
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  稚日女命は機織り姫。そして、
 生田神社では神功皇后を海難から救った海の神。
   縁結びの神徳もあるという高貴な女神。 
  その女神がなぜ「伽耶」「蚊帳」に結びつくのか?

語り部は言った。
「白妙(しろたえ)…が見えます。
蚊帳のように薄くて綺麗な白い布のようです」
私は言った。
「それは機殿神社で織る天照大神の神御衣では?」
しかし、語り部はこうも言った。
「纏うのは男の方のようです。大嘗祭の関係では」
「大嘗祭に献上する幣帛ということですか?」
「はい。白妙は何でできていますか?」
「荒妙(あらたえ)は麻、和妙(にぎたえ)は絹です」

私は織物の種類について言ったが、語り部の視る
 織物は、どうもそれとは材質が違うものらしい。
「他にも白い布の反物があったのですか?」
「幣帛は4種類あったのではないかと思います」

調べると確かに、大嘗祭の祝詞に4種類の幣帛
の名がが載っているのだった。つづく…。



加布良古岬に鎮座する伊射波神社「一の鳥居」。
船の上から海人たちが礼拝した古俗の名残りか。
※写真はじゃらん様のサイトから拝借。
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by utoutou | 2017-01-16 10:47 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)