2017年 01月 20日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 80 元伊勢の元伊勢

語り部の言う4種類の幣帛は大嘗祭の祝詞にあった。
新しい天皇が先代より霊力を継承する即位式に
奉じる幣物(供物)を忌部氏に備えさせる内容で、
次の4種類の幣帛(布)についての言及がある。

〜明妙(あかるたえ)・照妙(てるたえ)、
荒妙(あらたえ)・和妙(にぎたえ)〜

意味は順番に、美しい幣帛、輝くような幣帛、
布目の荒い幣帛、柔らかい幣帛。それはおそらく、
古神道にいう「一霊四魂(いちれいしこん)」
である、幸魂・奇魂・荒魂・和魂に対応して
奉じるられるのではと、語り部と話し合った。

さて、知りたいのは幣帛の産地である。
語り部は伊射波神社のある鳥羽の加布良古岬に
「蚊帳のように薄い白妙」と「天皇らしき男性」
を視たと、言ったので、その白妙は
もしかすると大嘗祭で影向されるはずの神の衣を
織るための幣帛なのだろうと、私は思ったが、
白妙の産地は、はたして伊射波神社の坐す鳥羽か?


『延喜式神名帳・践祚大嘗祭巻(927年)』に、
幣物の産地や数量が詳細に指定されており、
それによれば、例えば、式のための食材と幣帛は、
阿波国、淡路国、紀伊国から提供されるとあった。


細かく見ると、紀伊国の「海部郡」、つまり現在、
↓ 日前・国懸神宮の坐す旧・名草(なぐさ)である。
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いっぽう、
神御衣織る糸の産地として『延喜式』に掲載
されているのは、三河国宝飯郡という地である。
研究書『践祚大嘗祭』(田中初夫著)によれば、
その地は、現在、赤日子神社のある愛知県蒲郡市で、  
 そこから供進される糸は古来「赤引きの糸」と呼ばれる。  


なるほど、蒲郡市HPを見ると、三河地方では
養蚕の歴史が古く、赤日子神社は養蚕の祖神を祀る
代表的な神社だという。※写真も同サイトより拝借。
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そうだったのか…と、
何かこうカチカチとバズルがハマる気配がする。

まず、赤日子神社の主祭神は、彦火火出見命と、
豊玉彦・豊玉姫で、安曇族の崇める綿津見神である。
古来、渥美半島には安曇族がいたことを裏付ける。

いっぽう、養蚕を日本にもたらしたのは紀元前
に揚子江の河口にあった越に破れた呉の太伯
の家臣だった安曇族という説がある。

ちなみに話は少し脱線するが、アマミキヨの
渡来したヤハラヅカサがある土地は百名といい、
古代琉球はここから広がったと伝わるが、私は
↓百名海岸に着いた琉球の始祖・アマミキヨは、
「百越」から来た安曇族の長だろうと考えている。
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そもそもアマミキヨの語源は安曇・海部・奄美。
語り部は、アマミキヨ直系・ミントン家から出た
「琉球の稲作の祖・天祖(あます)のアマミツ」
とは「安曇磯良のことだ」と、常々言っている。
「アマミツは、海(天)津見神のことだ」とも…。

また、伊射波神社と並び称される志摩一宮・伊雑宮
の祭り「磯部の御神田」では、「太一」の大扇をーが
用いられるが、それは「太伯」にちなむものと思う。
「太一」は、安曇ら海人族が崇めた天御中主神である。

思えば、大嘗祭の幣帛を提供した紀伊国の海部郡
(名草)にも、安曇族が盤踞していたに違いない。
以前も書いたことがあるが、神功皇后の新羅遠征
に参加した人物に、「志賀の海人・名草」がいた。

筑紫の志賀島は安曇族の本拠地だったが、
伊勢・志摩・三河・紀の国にも分布していたのだ。

伊勢に天照大神を鎮座させた垂仁天皇の皇女
・倭姫は海部の女。『古事記』によれば、その母
・日婆須比売は、丹波道主命と川上麻須郎女の娘だが、
母方の祖父で丹後久美浜にいた豪族・川上麻須郎は、
日下部・安曇・和邇と同族だったと思う。
言い換えれば、加耶から来た渡来人だった。

丹後は元伊勢と呼ばれるが、
その元伊勢の元伊勢は、伊勢だったのではないか。

語り部はどうやら、伊勢に先住した安曇族は、
呉から来て沖縄を経由したアマミキヨと見ている。


by utoutou | 2017-01-20 22:15 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)