2017年 03月 01日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 90 志賀海神社

ブラタモリ神戸で話が途切れたが、九州旅の
最後に志賀海神社(福岡市東区志賀島)へ行った。

和布刈神社〜宗像大社〜そして、こちら志賀海神社。
玄界灘の主だった海人族にゆかりの神社を巡る旅。
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宗像神社では、
拝殿に掛かる『神勅』を、複雑な思いで見た。
「汝三神 宜しく 道中に降居して
  天孫を助け奉り 天孫に祭かれよ」
これが、天照大神から宗像三女神への『神勅』という。

「天孫を助け奉り 天孫に祭かれよ」の一文から、
大和朝廷のルーツだったはずの海人族の神々が、
          やがて、天孫への帰属を余儀なくされた歴史が窺える。         
いや海人族こそが天孫と考えれば、新天孫への帰属か?

記紀が成立する以前、筑紫を舞台にして起きた
朝鮮半島諸国との交易や交流、あるいは動乱や内乱。
そして、大和朝廷が頼りにした海人族の盛衰を思った。


さて、
「海神の総本社・龍の都」と呼ばれる志賀海神社。
一の鳥居の朝10時。宗像大社と違ってとても静か。
港から参道を10分歩いたが、出会う人はいなかった。
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鳥居左手の樹々の下、石神がひっそり祀られていた。
近づくと猿田彦命と刻字があり、あっ…と思う。
猿田彦の下駄』にも書いたが、沖縄久高島では、
魚根家(イン二ヤーと読む、ヤマトでは和邇氏)の始祖
あり、龍宮神(海神)と考えられているのが猿田彦神だ。
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南国を思わせる樹々が生い茂る参道を進みつつ、思う。
猿田彦大神とは海神(綿津見神)の子・宇都志日金
であり穂高見神と記紀などに見えるが、つまり志賀海神社
 に綿津見三神を祀る安曇氏は、アマミキヨと同族である。
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「アマミキヨとは、アマべ・アマミ・アズミが語源」
と古来伝わるが、こうして安曇氏の本拠・志賀海神社
に来ると、猿田彦命を介して、その系統が確信できる。


志賀海神社、本殿拝殿。
祭神は、左殿 仲津綿津見神(相殿 神功皇后)
     中殿 底津綿津見神(相殿 玉依姫命)
     右殿 表津綿津見神(相殿 応神天皇)
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古来、綿津見三神を奉斎してきた神裔・安曇族は、
志賀島を一大拠点として国内・大陸との交流を広く
行い、経済的・文化的に高い氏族。その交易の足跡が、
長野県安曇、滋賀県安曇川、兵庫、対馬などに、また
「しか」「あつみ」の地名に多く見られると由緒に。

神名ならば、和布刈神社にも祀られていた安曇磯良、
そして、アマミキヨということになるか。



↓ 本殿の右の海側にある、亀石遥拝所。
その由緒にも安曇磯良が登場する。以下要約。

〜その昔、神功皇后が三韓へ出兵される際、正面対岸の
打昇浜にある亀ヶ浜にある亀ヶ池・亀栖池の辺りで、
安曇磯良丸が凱旋を祈願して、七日七夜、神楽を奏でた。
すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現。
神功皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導いた。
黄金雌雄の亀は後に石となって現れたので、社前に納めた〜
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安曇とは、海津見神(あまつみ)の転訛で、
琉球稲作の祖と伝わる「天祖(アマス)のアマミツ」
は、安曇磯良のことだと、語り部は常々言っている。


その安曇磯良は、
本殿の山側の摂社・今宮神社の祀られているが、
こちらの主祭神は、宇都志日金命(=猿田彦神)。
そして住吉三神、安曇磯良をはじめとする安曇諸神。
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今宮神社の由緒には、こう記されている。以下要約。
☆安曇連等は綿津見の神の子・宇都志日金命の子孫。
☆綿津見神を宮司として奉職するのは、代々安曇家。
☆神功皇后三韓出兵の際に出現した安曇磯良丸命は、
ここ龍宮より干珠・満珠を借り賜って海上指揮に支えた。

これを読み、あることを思い出して、ひとり唸った。
本来の龍宮は久高島あたりにあると、語り部は言う。
つまり干珠・満珠とは、実は「琉球の珠」なのだと。
そして、それは本来3個の珠から成っていたのではと。

「琉球の珠」は3個あった…。難題が甦り、
というより、難しすぎるため聞かなかったことに
していた難題も、こうして志賀海神社に来たからには、
そうそう無視してはいられないと、ひとり苦笑した。



by utoutou | 2017-03-01 10:41 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)