2017年 03月 05日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 91 金印「漢委奴国王」

志賀島は金印の島。
この日、博多から電車とバスを乗り継いで志賀島へ。
海の中道という砂嘴を通って志賀橋を渡る頃には、
車窓から「金印」の2文字が目についてきた。
金印くん(島キャラ)、金印ドッグ(ホットドッグ)、
降りたところは、金印海道(金印公園がある海岸通り)。


港へと歩いてみると、旅客船ターミナルビルの
外壁には見上げるほど巨大な金印のオブジェがドーン。
なぜか金色ではなく、赤黒のツートンカラー。
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↑ 国宝金印『漢委奴国王』
1784年、現在の福岡市東区志賀島より出土した。永らく
旧福岡藩主黒田家に保管されていたが、その後福岡市に
寄贈された。現在は福岡市博物館で展示されている。金印
の鈕(紐をとおす部分)は蛇の形で、印面には漢委奴国王
(漢の委(倭)の奴の国王」と彫られている。中国の歴史
『後漢書』に「建武中元2年(57)倭の奴国奉貢朝賀す。
光武(後漢の皇帝光武帝)賜うに印綬を似てす。」とある。
弥生時代に福岡平野にあった奴国は、当時の日本列島では
最も栄えていた国の一つで、後漢王朝に使節を派遣し、
光武帝から贈られたのがこの金印である。印面の一辺の
長さは2.347㎝で漢字時代の1寸にほぼ等しい。この金印
 は、2千年前の日本と中国との交流を証明するものである。




2千年前の判子か…と、オブジェに向かってシミジミ。
確かに↓彫刻とは逆字だ。写真は福岡博物館より拝借。
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港のあたりをブラつくと、さらに「金印」と出会った。
博多港と志賀島を結ぶフェリーは「きんいん号」で、
金印マラソンや、金印カレーもあることを知った。
志賀島神社の授与品に金印ストラップを発見したり…。

島の北部、志賀島国民休暇村には「金印の湯」があり、
その館内で私が海鮮丼を食べた宴会場は「金印の間」。

休暇村へは、おばさまがご親切に車で送ってくれた。


港近くの金印海道を歩きつつ、金印公園場所を訊ねる
と、「歩いては無理、待ってて、車持ってくるから」と。
突然雨も降ってきたので、ご好意に甘えることにした。
「金印公園は工事中だから」と、一気に休暇村まで。
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車の中で、幸運にも志賀港の今昔を聞くことができた。
おばさまは弘漁港(地図の4)から志賀港(地図の1)
の近くへ嫁いだのだという。「いまはね、夜になると、
家の前の海を、外国の豪華客船みたいな船が横切って、
そりゃあ綺麗ですよ。子ども時代には、こんな素敵な
ナイトクルーズ船を見られるなんて夢にも思わなかった
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※志賀海神社で頂戴した地図に、番号を振った。
1.志賀島漁港・旅客船ターミナル 2.金印公園
3.叶ヶ浜  4.弘漁港 5.志賀海国民休暇村 
6.志賀海神社・中津宮 7.志賀海神社・沖津宮


やがて車は金印公園前を通過、おばさまは言った。
  「右が甚兵衛さんが金印を見つけた所(地図の2)。  
“かねのはま”の“かねのみさき‘’から出たんだって
  

おばさまと別れた後で調べると、福岡博物館サイトに
〜(金印出土地の)叶崎(かねのさき)は叶浜(かねのはま)
の突き出た部分と考えられる〜と、確かにあった。


かねのさき…どこかで聞いたことがあったなと
考えていたら、志賀海神社の境内に立つ万葉歌碑に、
鐘の岬(かねのみさき)とあったことを思い出した。
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〜ちはやぶる
鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神〜
原文は下記。
〜千磐破 金之三崎 過鞆 吾者不忘 牡鹿之須賣神〜
波の荒い「かねのみさき」を過ぎても、志賀の神様の
ご加護は忘れません…そう訳すと、ピタリ当てはまる。


ここ志賀島漁港から見えるのは静かな内海。古来、
↓能古島(のこのしま)とに挟まれた天然の良港だ。
金印の出た叶崎は、ここから右(北)へ車で3分。
   そこは、波の荒い外海へ出る寸前の国際港だった?    
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そして、叶崎では、内航船(小さな丸木船)から
外航船へと、荷物の積み直しをしたのでは?
そして荷札か何かに「倭奴国王」の印を押したのでは。

 そう考えるヒントは、丹波・久美浜の朝日の港
古来、大陸との交易を担った安雲や住吉族は
 その港で外航船⇆内航船の荷物を積み替えていた

さて、この金印から約170年後の1954年、
志賀島と同型の金印『滇王の印』が、中国雲南省の
石寨山(せきさいざん)古墳群から出土したことは書いた。
同じ古墳から、琉球産らしき宝貝を入れた青銅製の
貯貝器も多数出土したということも『琉球産の宝貝』に。

後漢の光武帝が委奴国王に金印を授けた弥生時代、
沖縄〜志賀島〜(黄河沿いの)洛陽〜丹波を
外航船と内航船を繰って交易した海人に安雲族もいたか。

ちなみに倭と滇、ふたつの金印に共通するのは蛇鈕。
漢の皇帝は、朝貢する国の王に駱駝や羊など象徴的な
を冠した金印を与えたというが、両国の場合は蛇だった。
琉球もまた「龍(蛇)の国」、安雲と同族だったと思う。






by utoutou | 2017-03-05 14:00 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)