2017年 03月 15日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 94 秘められた北斗七星

志賀島は神々の島、そして多くの神話が生まれた舞台。
その悠久の歴史を下ればこそ、金印を授かった
「漢委奴国王」が生まれたと思うのだが、それはさておき…。
綿津見神三社元宮のある島の最北では、地名が
神話の名残りをとどめていて、時の止まる思いがした。



こちら下馬の浜(げばのはま)。
現在は下馬の浜海水浴場。そこに休暇村志賀島もある。
カメラの背後、右に沖津宮、左に中津宮が鎮座。
神功皇后が三韓出兵の際に志賀島を訪れ、
この浜で馬を降りたことにちなんだ地名だという。
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沖津宮と仲津宮に挟まれた海は、神遊瀬(大戸・小戸)。
『筑前国続風土記付録』(1798年)によれば、
沖津宮に向かって左を小戸、右を大戸と呼んだようだ。
神遊瀬(しんゆうのせ)に浮かぶ島々には洞穴があったか。
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『筑前国続風土記付録』に掲載された地図。
上が沖津宮、下が仲津宮、右下の山が「表津宮趾」。
三社を繋いでいた砂州と砂浜(入江)を彷彿とさせる。
左ほぼ中央に、神遊瀬の別名・御手洗の名も見えるが、
それはここが記紀曰く黄泉の国から戻ったイザナギが禊祓
すると綿津見三神が出現したアワギが原に比定されるため。
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こちら、舞能ヶ浜(まいのうがはま)。
志賀海神社に保存された神功皇后出兵絵巻によれば、
安曇磯良を海の国から召し出そうと7日7晩に渡って
神楽を奏した浜という由来があるという。
やがて、志賀大明神(安曇磯良)が奉賽するとともに
  馬がいなないたので、勝馬という字名がついたと伝わる。 
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さて、この周辺のどこかに「北斗七星が隠れている」
と語り部は言ったが、とりあえずこの海で行われる
神事はないかと、youtubeで「歩射祭り」を観て驚いた。


志賀海神社で1月に行われる厄疫退散と五穀豊穣と
豊漁を予祝いする恒例神事が歩射祭りだが、その
前日、新参の射手(いてし)として祭祀組織に加入する
ことになる若者たちが、胴結(どい、藁製の的)を運ぶ。
そのときの「胴結舞(どいまい)」で、先頭で胴結を
背負う若者が、杓文字で顔を隠したているのである。
(※下2点の写真は、志賀島歴史研究会ブログから拝借)
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ここに北斗七星が隠れていた…。杓文字は、
琉球の祭具でもある杓子(にぶとぅい)と同義。
広辞苑には、次のように記されている。
杓文子 ;(杓子の女房詞)飯や汁などをすくう道具。〜

にぶとぅい星とは、ウチナーグチで北斗七星のこと。
久高島のイザイホーでは、にぶとぅい(神職)が、
新加入なった神女に、にぶとぅい(杓子)で神酒を注ぐ。

男女の違いこそあれ、一定の年齢になったとき
島の祭祀組織に加入する通過儀礼のなかに秘められた
北斗七星は、共通する星辰信仰を思わずにいられない。

琉球王朝時代まで残った「天御中主神と7人の日巫女
は、北斗七星(巫女7人)と、輔星アルコル(弁財天)
 とで8人の巫女が天御中主神に奉じた形態を偲ばせるが、 
歩射祭りの新参射手も8人。しかも、その若者たちが
禊祓いをする場所は、天御中主神を祀る沖津宮である。



若者たちは、さらに海に潜ってガラ藻を採り、沖津宮
 の神前に供えて、古参から橙の盃に神酒を受けるという。
いわば「ガラ藻神事」は、「和布刈神事」にも相当する。
いずれも安曇族の奉斎する神社での古い正月神事だ。
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琉球には、海藻を神前に供える神事はないが、
イラブー海蛇が龍神の使いに例えられたのは、海の底
 の神聖なる海藻や生物を摂り入れるからだとも言われる。
 その結晶が、龍神がくわえていたとされる宝珠だと…。











by utoutou | 2017-03-15 21:28 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)