2017年 07月 05日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 116 アカル姫の御嶽

アカル姫。
『古事記』応神天皇記には、「天之日矛の妻」「新羅から来て
難波の比売小許社に坐す阿加流比命」と、記されている。

『日本書紀』垂仁天皇記には、「都我阿羅斯等
(つぬがあらしと)が追った童女」「難波の比売語許社、
そして豊国・国前郡の比売語曽神社の神になった」と
記されていることから、この童女もアカル姫と見られるが、
記紀どちらにしても、古伝としての記述である。

そのアカル姫について、語り部は言った。
「久高島のアカララキに祀られる女神と、神像が一致する」と。
また、アカル姫は「琉球の玉を持っている女神」であるとも。
それは如意宝珠や「三種の神器」の勾玉にも匹敵する神宝。
太陽の化身として、至高の霊力を発する玉であったらしい。


久高島の西海岸に位置するアカララキの御嶽(写真左)
島西南のユーラヌマ浜に位置する(↓ 6月27日に撮影)
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アカララキ(=アカル姫)は転生再生を司る女神。
イザイホーの際には祭場に移動して、島の女性たちが
神女として生まれ変わるのを見守ったと考えられる。 
(以前の記事は こちらこちらに)

アカララキに祀られる女神の名は、伏せられてきた。
その理由が渡来の女神だったからなのだとすれば、
イザイホーが長く秘祭とされ続けた理由もそこにある。

天皇の践祚大嘗祭の原型とも言われるイザイホー。
その祭場に祀られたアカララキが渡来の女神では、
都合が悪かったということだろうか。

しかし、アカル姫は決して渡来の女神ではない。
崇めたのは、ユーラシア大陸を治めたと考えられる
古代王朝・東大東族(しうから)民。倭人と呼ばれた人々は、
琉球・日本・大陸の間を、潮流に乗って行き来した海人族だ。



琉球には歴史がないと言われて久しいが、そうした古伝
は、琉球王朝時代まで密かに継承されてきたらしい。
  アカララキは「君の泊(ちみんとぅまい)」と呼ばれた港に位置。
「君」とは聞得大君の意味で、その船はここに着岸したという。
降り立ったその足で、いの一番に参詣したのがアカララキだ。
↓ 斎場御嶽と海峡を挟んで向き合う「東方の御嶽」でもある。
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「アカル姫は、東方(あがるい)の御嶽にいる」
と、語り部は言った。
私には初めて聞く御嶽の名だったが、「暁の御嶽」
と言われるアカララキには、そんな古名もあったのだろう。
琉球では、太陽の昇る方向を東方(あがるい)と、
また太陽神を「東方大主(あがるい・うふぬし)」と呼ぶ。


太陽神を祀り、そして自らも祀られるアカル姫の御嶽。
御嶽の中央に置かれた小祠の中には、小さな神体石が、
いま水平線から昇って再生する朝日のように祀られている。
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さて、
夏にアカララキを起点として行なわれる久高島の男祭り
テーラーガーミ」を見て書いたのは3年近く前だったが、
アカル姫を知ったいま、訂正しなくてはならないことがある。
男たちがお祓いのために手にする「日の丸」の扇子。それを
近年の祭具なのだろうと考えたが、これがアカル姫の「赤い玉」
を象徴しているとすれば、近年からであろうはずはなかった。
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そして、「赤玉」がアカル姫が持つ神宝だったなら、
これまで腑に落ちなかった神歌(ティルル)の謎も解ける。
テーラーガーミで男たちが歌う『赤椀の世直し』の一説だ。

〜ソウルから下たる赤椀の世直し〜(※世直し=祭具)

なぜ赤椀(酒杯)はソウルから下ったのか…の答えは、それを
もたらしたのがソウル(新羅)から帰ったアカル姫だったからだ。
「赤椀の材質は、赤琥珀(レッドアンバー)でできている」
と、語り部は霊視している。





by utoutou | 2017-07-05 11:52 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(3)