2017年 08月 02日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 122 猿田彦の子午線

「事代主命は猿田彦神」と悟ったのは正解だったらしい。
前回の記事を読んだ語り部から、連絡があった。

「やはりそうなりましたね。事代主命は夷(えびす)神で、
猿田彦神で、大綿津見神で、塩土老翁でしょうね。また、
武庫の浦、六甲山(むこのやま)の地主神だったと思います」
「猿田彦神はアマミキヨ、やはり琉球を出た海人族は、
ここ六甲山まで北上していたことになりますかね」

ということは…と、
改めて廣田神社と西宮神社の関係に思いをはせた。
例えば、伊勢において猿田彦神と瀬織津姫が一対神で
あったように、古代、海人族の勢力圏だった六甲の地でも
その神観念は、決して変わることはなかったはずだ。
記紀により、ひとり神としての天照大神が誕生するまでは。

よって、廣田神社に瀬織津姫が祀られるならば、
猿田彦神を陰陽一対神として祀られねばならなかった。
瀬織津姫はヒメ(日女)神、猿田彦はヒコ(日子)神だからだ。



西宮神社(西宮市大社町)本殿 ※'17年5月に参拝。
由緒によれば、第一殿 西宮大神、第二殿 天照大神、
第三殿 須佐之男大神となっている。
西宮大神=夷神=戎神=後のえべッさん=猿田彦神か。
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西宮神社は創祀当時、廣田神社の境外摂社だったという。
廣田神社境内で見た古代地図によると、下の赤丸が西宮神社、
上の赤丸が廣田神社(赤丸は私の加工)、その上が甲山、
西宮神社の旧名は浜南宮。廣田神社の前浜に鎮座していた。
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思えば、廣田神社の神奈備山で神呪寺のある甲山にも、
猿田彦神こと白髭大明神が祀られていた。登山口に
立つ鳥居の横。「なぜここに?」と思ったが、地主神なら当然。
また、神呪寺の鎮守は弁財天(瀬織津姫)である。傍に、
「善女竜王」の小祠があった。こちらは空海に所縁の深い水の神。
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西宮神社に祀られる西宮大神こと夷神が猿田彦神ならば、
オセロゲームのコマが次々と裏返しになるかのように、
かつての気づきの意味も深まっていくようだ。他でもない、
六甲山と瀬織津姫をめぐる「東経135度の子午線」の話。


↓画像は西脇市役所サイトから借用した「日本のへそ」
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向津姫(瀬織津姫)が、北極星(天御中主神)を崇め、
日々昇りくる日神に向かって祭祀したはずの聖地とは、
東経135度の子午線(南北線)と東西軸の交差点で、
そこには6社の神社や磐座があると、私は考えた。

保久良神社(神戸市東灘区)、
芦屋神社(芦屋市東芦屋町)、越木岩神社(西宮市甑岩町)
廣田神社(西宮市大社町)六甲比命神社(神戸市灘区)
本住吉神社(神戸市中央区)、そして、
六甲山系からさらに北へと進めば、籠神社の奥宮
である真名井神社(京都府宮津市)も鎮座している。
祭神は、豊受大神(天御中主神)である。

その神社ごとに一対神としての猿田彦神が隠れている…と
すれば、「女神の子午線」は「猿田彦の子午線」ともなるだろう。
向津姫たちは朝になると、闇夜を割いて東方から、猿の目
のように赤々と賑々しく昇る日神を祀ったのだと思う。

その祭祀構造は、「イザイホーの子午線」とまったく同じだ。
祭場の北に設えた七つ屋で、天御中主神(北ぬ方星)と、
アカララキ(瀬織津姫)の守護のもと夜通し潔斎して、
神からの霊力を受けた島の女性たちは、やがて東の空から
赤々と昇る日神を祀る神女(日巫女)として転生したのだ。

前夕、イザイホーが始まる直前、女性たちはノロ家の
庭に飛び出し、時計まわりに7回回ったという。
「エーファイ、エーファイ」と掛け声を発しながら。
エーファイとは「神の元へ急ごう」の意味だと私は思うが、
その神とは猿田彦神=夷(えびす)神=蛭子(えびす)神。

大和神話では、伊邪那美が右回りに回って生んだ最初の子は、
不具の子「蛭子(ひるこ)」として、葦舟で海に流された。
イザイホーとは、大王としての夷(えびす)神でありながら、
蛭子(ひるこ)として流され消去されてしまった
猿田彦神を復活させる秘祭だったと、いまになって分かる。




by utoutou | 2017-08-02 17:53 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)