2017年 09月 03日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 129 話は飛んで、カメジロー

数日前、渋谷でカメジローを観た。
話題の映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男
その名は、カメジロー』(佐古忠彦監督)。

桜坂劇場(那覇市)では連日、大入り続きらしい。
東京でも、監督挨拶のあった初日には行列ができた
というが、平日の昼間だし…と思っていたらほぼ満杯。
予約していなかったら、最前列席に座るところだった。


アメリカ占領下の戦後沖縄で、不屈を貫いた政治家
・瀬長亀次郎。アメリカがカメジローを恐れた理由が、
当の米軍の機密資料「瀬長亀次郎ファイル」に残って
いたというあたり(ここは会場笑い)から、次第に涙腺
が緩み、会場のあちこちからも鼻をすする音がした。
 終了と同時に拍手が起こり、すぐ立つ人は少なかった。
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ウチナーンチュはまつろわぬ民だと、度々感じる。
今回も、カメジローに不屈のおじいたちの姿を重ねた。

スサノオ降臨と天磐船」に書いたが、語り部によれば
ヤマト神話が伝えるスサノオは、沖縄では天王ガナシー、
あるいは、「天地(あめつち)の大神様」と呼ばれた。
記紀で皇祖とされる天照大神の名を聞くことは稀だ。


天王ガナシーと、その妃神である天妃ガナシーを、
アマミキヨ渡来伝承のある↓ヤハラヅカサで、戦中戦後に
わたって祀っていたというおじいも、不屈の御嶽守りだ。
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ヤハラヅカサの浜辺から、浜川御嶽へ登る手前の磐座
に、天王ガナシーと天妃ガナシーの石香炉はあった。
近くに住むおじいは、台風や大波が来る度に駆けつけては、
香炉を抱え、安全な場所に避難させていたという。
祖神の崇拝は、子々孫々までの平和を願ってのことだ。
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磐座の上部までが(写真左の看板に記されるように)
ヤハラヅカサと呼ばれる一帯。『琉球国由来記』
に載る神名は「ヤハラヅカサ潮パナツカサの御イベ」。
その「潮がバーンと当たって砕ける聖地」で、
末裔によっておそらく何千年にもわたって祀られた
天王ガナシーとは、海人族にとって「海を統べる王」。
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一説に、その天王ガナシー・天妃ガナシーの墓は、
CSG(CIA基地)のあった玉城台地にあるという。

戦後まもなく聖地は軍用地とされ、基地建設のために
ブルドーザーが乗り込んだとき、阻止すべく駆けつけた 
のが、玉城王の末裔として御嶽を守っていたミエおばあ

玉城グスクの近くでブルドーザーを捉えると、両手を
広げて立ちはだかり、念力で引っくり返したという
これも不屈のエピソードが、地元で語り継がれている。

いっぽう、玉城天孫氏を祀っていたウメおばあは、
戦後、百名に拝所を構え、一度も旅に出ることなく、
遠来の参拝者を迎え、御嶽廻りの世話をしたという。

さて、
カメジローが衆議院議員に当選したのは1970年。
国会(特別委員会)で、時の佐藤栄作総理に質問する
シーンは、カメジロー映画でもハイライトだったが、
その直後の'72年、いわゆる沖縄返還は果たされた。

'75年、玉城台地の軍用地(CSG)は突如解放され、
村議会の競合を経て、ゴルフ場の建設が決定した。
'77年の開場に向けコース設計にも関わった当時の社長は、
機関誌の創立十周年記念座談会で、こう語っている。

「敷地内の地盤調査をしたら、鍾乳洞がいくつもあった。
またウガンジュ(拝所)を調査したら、今度は玉城王の
お墓などが、3つも出てきた。担当者は苦労したようだ」

かくして、天王ガナシーを始祖とする天孫氏王朝に
まつわる御嶽は、後世に残されることになった。

ゴルフ場には大規模な地主会が存在すると言われる
が、ある地主に聞いた言葉が印象に残っている。
「先祖の残した土地なんだから、絶対に売らないよ」

カメジローの遺言は、
「憑き物(ツキムン=米軍基地)は退治できなかった」
というものだったというが、そのおじいも言っていた。
「フリムン(馬鹿者)と呼ばれても、ツキムンは要らん」


スサノオ(天王ガナシー)と猿田彦の関係について
は、また次回…。












by utoutou | 2017-09-03 12:08 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)